2006-09-01から1ヶ月間の記事一覧
岐南町史P.208に、木瀬御坊(後の専福寺)は慶長九年(1604)に葉栗郡竹ヶ鼻村に移転したと記されている。これは天正14年(1586)木曽川の大洪水の18年後に起きた大災害である。だがここで妙なことに、この一箇所以外は『岐南町史』も、『河野十八門徒について…
メールのデータの退避と復旧法がやっと判った。これを退避させなければ修理に出せないし、残したままでは見られてしまい、具合の悪いこともある。退避法が判って安堵。
谷垣やマスコミは安倍総理の人事は論功行賞だと批判しているが、ちょっと違うのではないか。志を同じくするから応援し、志を同じくするから起用したのではないのか。それを論功行賞としか見れないようでは、自分の甲羅に似せて穴を掘る蟹と同じ程度の人物と…
次兄の見舞いに行ったが、薬のせいで眠ったまま。声を掛けるとうっすら目を開けるが直ぐ眠ってしまう。顔色は良いので先ずは良しとすべきだろう。それよりも義姉の体調が心配。病院の面会時間待ちの間に、姪と話込む。姪の話は情緒に流されず論理的で筋が通…
安倍内閣の顔ぶれが決まった。麻生外相留任と言うか再任というべきか知らないが、麻生さんで良かった。記者会見で早速朝日新聞をからかっていた。塩崎官房長官も期待の人。拉致担当中山恭子補佐官も良い人選だ。日本の正常化に向けて頑張って欲しい。
今朝は地震で飛び起きた。時間は短かく震度はそれ程でもなかったが、強い揺れだった。速報によると震源は伊予灘とのこと。鯰よ暴れるな。
明後日見舞いに持って行く手土産を買いに大街道へ行った。ついでにベスト電器でPCを見る。画面はますます鮮明になり、ハードディスクは200GB以上。メモリも512KBは当たり前で、最大2GBまで実装可能。そして地上デジタル対応。OSはまだWindo…
逆川までが葉栗郷であったとしても、現在の竹鼻別院の位置は逆川の西で、河野島の中とは考え難い。今の別院は再建したものであるから、火災で消失した最初の場所がどこかを知る必要がある。
岐南町史P.208に専福寺は、慶長九年(1604)に葉栗郡竹ヶ鼻村に移転したと記されている。1586年の大洪水で現在の木曽川の流れが出来、その数年後に秀吉は木曽川を尾張と美濃の境としたと聞く。この変更により元の葉栗郡は尾張と美濃に分割され、美濃側は羽栗郡…
『木曽川文庫 Vol.18』の「ふるさとの街・探訪記《川島町》」に次の記述を見つけた(ここ)。 農耕文化が進むにつれて「ムラ」が形成された古代。この地方の豪族羽栗ノ臣は尾張地方の諸豪族を統合し、小国家を形成しました。 その後、大和朝廷による中央集権…
『埋蔵文化財 愛知 no.42 西上免遺跡』(愛知県埋蔵文化財センター編集)によると、尾張葉栗郡村国郷から木曽川を渡った対岸に美濃各務郡村国郷があったそうだ。([http: //www.maibun.com/DownDate/PDFdate/maibuai/42.pdf#search=%22%E6%B2%B3%E6%B2% BC%E…
愛媛新聞は今朝の「国旗国歌の強制 違憲判決の重みをかみしめよ」と題する社説で、 国際的なスポーツ大会では国旗掲揚や国歌斉唱がつきものだ。日本の選手やチームが勝利した後に日の丸が掲揚されたり、君が代が演奏されたら、誰もが感激を覚えるはずだ。 し…
東京地裁で国旗・国歌で起立・斉唱強制は違憲との呆れた判決が出た。国旗・国歌に敬意を表するのは世界共通の常識であり、もし国旗・国歌に不敬を働いたら昔なら戦争になりかねない。このことをきちんと教えていないから、外国で国旗掲揚や国歌斉唱の時、起…
Mさんから久し振りに電話あり、商店街の町屋風喫茶で歓談。話は今朝の国旗・国歌の強制不可の判決にも及んだ。
播州英賀に英賀城があり、そこの城主は伊豫河野氏の血筋を引く三木氏であるとの話を聞き、早速検索して見る。英賀城は随分古く、赤松氏の創建で、赤松氏が衰えた後三木氏が支配した。その三木氏の祖は河野通昌と言う。同地には戦国時代には英賀御坊が作られ…
Azbyクラブに電話して相談したところ、細かく指示を呉れ、それに従ってディスプレイドライバを再インストールしたが、症状は変わらない。状況から見てビデオカードの故障の可能性が高いとの診断。購入時に添付されていたCDを探し出し、再度電話し、先方の…
またまたPC不調。起動時にディスプレイドライバーが正常に動作しないとのエラーメッセージが出て、セーフモードしか動かなくなった。初期のPCなら簡単に直せたのだが、今は複雑で手が出せない。メーカーに電話するか、InPutにSOSを出すしかないだろう…
大差で安倍総裁誕生。本当は麻生ー安倍の順が望ましいと思ったのだが。 中・韓がいちゃもんをつけて来るだろうが、安倍新総裁の手腕に期待しよう。
神戸市立中央図書館に古い児童書の寄贈を打診したところ、有り難く頂戴するとの返事。名作もかなり有り、捨てるのは勿体無いと思って打診したのだった。二度目のお勤めを果たして呉れれば本望。
「郡・郷」は律令制に基づく。では「村」と言う行政単位はいつから始まったのか。村を規定する何かがあるのだろうか。「庄」は荘園だそうで、そうとすると平安時代に始まったのだろう。 荘園は私領であるから、公領の郡や郷と重なり、公の行政区画とは一致し…
河野と言う地名を持つところは全国に沢山ある。それらを地図と航空写真で調べたところ、殆どは山の中の地である。共通するのは皆川に接していると見られる点である。例外は三例で、一つは越前河野浦と伊豫風早郡河野郷と元尾張で後に美濃となった河野郷(元…
松山市と合併する前から北条市に河野の地名が残っていないように感じていたので、以前の地図を調べてみた。思った通りで河野という地名は無い。しかし、河野小学校、河野保育園、河野支所が地図上の狭い範囲に記載されているので、以前は河野という地名があ…
河野惣道場(専福寺)が最初に造られたと言う三宅村木瀬の正確な位置は判らないが、凡その見当はついた。最初に作られた場所から木瀬道場が洪水で流亡後に伏屋村に再建した場所までは南北に十二・三町、中野村の河野称名寺は、伏屋村の再建場所から南南西に…
@nifty辞書で「沼」を引いてみると、その音は「ぬ」と「ぬま」の二つあることが判明。引用している例文から見ると、古代には「ぬ」であったらしい。「沼」のついた熟語である「沼田」は「ぬた」の音が載っていた。 そうとするなら、尾張葉栗郡河沼郷の「河沼…
白鵬は相撲がばらばら。これでは並みの大関。心技体のうち心がまだ出来ていない。基本からやり直し。朝青龍は把瑠都を出足で圧倒し、相撲を取らせなかった。前日の敗戦を引きずらず、完璧な相撲を取れるのは凄い。
河野門徒、瀬戸門徒、五坊野門徒の名は場所を示すと言う。そうであるなら、美濃河野九門徒をどう説明すれば良いのか。美濃河野九門徒とは美濃の河野郷の門徒の意味になるが、河野郷は昔尾張であったので、名称が整合しない。河野郷が美濃に移ってからの名称…
横綱と大関が全部負けるとは前代未聞の恥さらし。白鵬はばたばたするだけで、こんな相撲では横綱は遠い。稀勢の里は鋭い踏み込みで朝青龍に立会い勝ち。自分は十分に上手・下手まわしを引き、朝青龍には左上手を許さず、引きつけて一気の寄りで完勝。朝青龍…
埋蔵文化財愛知の「西上免遺跡」で下記の記述を見つけた。 古代葉栗郡は『和名抄』によれば葉栗郷・河沼郷・若栗郷・村国郷・大毛郷の5郷がみられる。このなかで村国郷は現在の江南市村久野を中心とする地域とされ、村久野は村国の転訛とされている。美濃国…
河野通勝が伊豫河野氏の出と言うのは怪しいとしても、伊豫河野氏との関係を強調しようとしたのは何故か。この行為は美濃から遠い伊豫の豪族河野氏の名が、美濃においても権威を持つことを意味するのではなかろうか。もしそうとするなら、それは何故か。河野…
尾張の河野九門徒は、尾張国葉栗郡上門間庄本庄郷の領主河野通勝ら同志九人が親鸞の説法を聞き、河野の木瀬に草庵を結んで親鸞を招いたのが始まりと言う。その河野通勝は伊豫河野氏の出と言うが、根拠が薄弱過ぎる気がする。むしろ河野郷の地名を苗字とした…