野村克也を偲ぶ

 野村克也が亡くなった。野村は長嶋茂雄らと同世代で、活躍した時期は昭和30年代の前半から40年代半ばで、戦後の第二世代と言って良いだろう。戦争直後の世代は打撃の神様と謳われた弾丸ライナーの川上や物干し竿の藤村、二塁の名手千葉や最初のホームラン打者大下、完全試合第一号の藤本、素晴らしいコントロールで打者を翻弄した若林、塀際の魔術師と謳われた平山らが思い浮かぶ。野村は長嶋や王と共にその後に続く、言うなら戦後の第二世代を代表する選手だった。野村は長嶋や王がひまわりなら自分は月見草と評したが、これはまさに言い得て妙と言うべきだろう。野村は第一級の選手ではあったが、長嶋や王のような絢爛豪華に時代を代表する存在では無かった。捕手というポジションのせいか、どこか陰の人と言うか、地味なイメージが付き纏った。だが、インサイド・ワークにかけては他の追随を許さなかった。この点で長嶋や王とは全くタイプが異なる。長嶋は集中力の凄さが尋常では無く、瞬時に超集中状態即ち無我の境地に入ってしまい、野村のささやき戦術が全く通用しなかったと彼自身が脱帽していた。長嶋のもう一つの特徴は勘の冴えであろう。彼の勘の鋭さも他人の遠く及ばぬ所で、その逸話も残っている。これらを総合して野村は長嶋を唯一人の天才選手と評していた。野村が達人選手だからこそ言えた言葉と思う。

 ご冥福を祈る。