またまたカタカナ語。「東京アラート」とは何ぞや?

 また妙なカタカナ語が出て来た。「東京アラート」は何のことか。アラートとは警報と同義だと言う。それなら警報と言えば良い。何故カタカナ語を使うのか。「東京アラート」と言ったり、「キープ ディスタンス」と言ったり、「ソーシャル ディスタンス」などと訳の分からぬカタカナ語が氾濫するのは何故か。カタカナ語でなければならないのか、理解に苦しむ。

 以前吹き出した報道を見たことが有る。内容は或る会社が人員整理をする事無く、再構築に成功したと言うものだった。昨今リストラと言う言葉を人員整理、或いは解雇の意味に使っているが、元はリストラクチャーで、再構築が本来の意味であるが、再構築には人員整理を伴うことが多いので、そちらの意味に誤って使用されるようになったらしい。従って上記報道をリストラを使って書くと、「リストラ無しでリストラに成功した」となる。生兵法の一例である。リベンジも同じような誤用である。これは復讐、報復であって、雪辱の意味は無い。だから外国人がリベンジと聞くと、決闘をするのかと驚くと聞いた。明治の人達のように、日本語に移し替える努力を忘れてはいけない。現用漢単語の七割は和製漢単語だそうだ。即ち、中国人も韓国人も今使っている単語の70%は日本製単語と言うことになる。例を挙げると、中国の正式国名の中華人民共和国のうち支那語古来の単語は中華だけで、残りの人民も共和国も日本で造られた和製漢単語である。科学も経済も哲学も日本語で語ることが出来るのは、総て明治期の先人達の努力の賜物である。その恩恵を受けているは日本だけではない。中国も韓国もその恩恵を受けているのである。それを思えばカタカナ語に走るのは軽率であり、愚の骨頂と言うべきである。首相や都知事はそのことに思いを馳せて貰いたい。