変人になる自由

NHKの『熱血天才アカデミー「ダーウィン進化論』」で茂木健一郎が、天才になる、天才を作るには「変人になる自由」がなければならぬと言っていた。変わった人が居れば、それを助長してやることが大切だと。変わっていること、これは天才を生むための必要条件。これに何かが加わって始めて十分条件になるのだろう。それが何かは知らない。
だがはっきり言えるのは、他人と同じなら存在価値はなく、違うからこそ価値があるのだと言うこと。群れてはダメ。群れていないと不安なようでは、存在に値しない。日本社会は直ぐに群れようとする。和は大切だが、和とは群れることではない。この点を勘違いしてはならぬ。
まだ若かりしころ、非常にユニークな課に居たことがあった。そこのメンバーはよそから見ると変人揃いだった。それぞれが得意を持ち、個性の強い連中だった。碁の猛者、マージャンの強豪、快速球のエース、学生時代に喉が電波に乗った男、自動車狂い、などなど。皆自己主張が強く、他人の顔色を見て遠慮したりしない。しょっちゅう喧々諤々議論が始まる。だが、それぞれ違うから面白いと思っている連中なので、言いたいことを言う反面、他人の言うことも良く聞き、認め合う。だから議論は激しいが、チームワークは頗る良かった。外部から見ると理解出来ないらしく、あそこは皆喧嘩かと思う程がんがんやり合うのに仲が良い、と随分不思議がられた。遠慮しあうのは和ではない。和とは構成員各自がそれぞれの存在価値を発揮して協調することにより出来上がる。これこそが本当の和であり、変人が存在できるのが真の和であると思う。この課での経験は得がたいものであり、忘れがたいものであった。この課のことを茂木健一郎氏に話したら何と言うだろうか。