野田氏の質問主意書に対する政府答弁書に一抹の不安

民主党野田佳彦国対委員長質問主意書で、「戦犯は存在せず」と明快な論理で主張している。歴史を見れば何の不思議もなく当然の結論なのに、質問主意書に対する政府答弁書靖国参拝公式参拝であっても合憲としたのは良いが、問題の根本にある戦犯問題に関する根本認識に不安を感じざるを得ない。
野田佳彦氏は質問主意書で、

(略)
小泉総理が「A級戦犯」を戦争犯罪人と認めるかぎり、総理の靖国神社参拝の目的が平和の希求であったとしても、戦争犯罪人が合祀されている靖国神社への参拝自体を軍国主義の美化とみなす論理を反駁はできない。

極東国際軍事裁判に言及したサンフランシスコ講和条約第十一条ならびにそれに基づいて行われた衆参合わせ四回に及ぶ国会決議と関係諸国の対応によって、A級・B級・C級すべての「戦犯」の名誉は法的に回復されている。すなわち、「A級戦犯」と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではないのであって、戦争犯罪人が合祀されていることを理由に内閣総理大臣靖国神社参拝に反対する論理はすでに破綻していると解釈できる。
極東国際軍事裁判で「A級戦犯」として裁かれた人々の法的地位を誤認し、また社会的誤解を放置しているとすれば、それは「A級戦犯」とされた人々の人権侵害であると同時に、内閣総理大臣靖国神社参拝に対する合理的な判断を妨げるものとなる。内閣総理大臣靖国神社参拝は国際政治的な利害を踏まえて最終的な判断がなされるべきだとしても、「A級戦犯」に対する認識を再確認することは、人権と国家の名誉を守るために、緊急を要すると考える。
(以下略)

と明快に述べている。これに対する答弁書はやや曖昧で、

 日本国との平和条約(昭和二十七年条約第五号。以下「平和条約」という。)第十一条は、極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、同裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び我が国の勧告に基づく場合に赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限を行使することができることにつき規定しており、また、その他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者については、各事件について刑を科した一又は二以上の政府の決定及び我が国の勧告に基づく場合に赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限を行使することができることにつき規定している。

平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律(昭和二十七年法律第百三号)に基づき、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所において行われるとともに、当該刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出獄が行われていた事実はあるが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない。

と述べながら、その一方で

 極東国際軍事裁判所の裁判については、御指摘のような趣旨のものも含め、法的な諸問題に関して種々の議論があることは承知しているが、いずれにせよ、我が国は、平和条約第十一条により、同裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。

極東国際軍事裁判所において被告人が極東国際軍事裁判所条例第五条第二項(a)に規定する平和に対する罪等を犯したとして有罪判決を受けたことは事実である。そして、我が国としては、平和条約第十一条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾している。

と「極東国際軍事裁判所の『裁判』を受諾」と述べている。これは明らかに誤りで、「裁判を受諾」でなく、「判決を受諾」したのであって、極東国際軍事裁判を正当なものとして受け入れたのではない。「判決を受諾」とは「刑の執行」を行う任に当たることを承諾したことを意味し、講和成立後直ちに釈放しないことを誓約したのである。日本はあの「裁判」を受諾したのではないと言うことは、平和条約は日本があの裁判の不当性を主張することを妨げるものでないことを意味する。この点は認識の根本に関わる重要な問題であり、野田氏の見解が筋を通しているのに対し、政府答弁書は腰が引けていて一抹の不安を感じる。
講和成立後、戦犯とされた人たちは総て釈放され、名誉を回復しているが、これは平和条約に基づいて関係諸国の同意を得たものであることを、何故政府は堂々と言明しないのか理解に苦しむ。極東国際軍事裁判所の『判決』を『裁判』と解釈するようでは、議論は迷路を彷徨うばかりである。政府は「戦犯」は存在せずと一日も早く明快に言い切ることを望む。