小沢一郎豹変か?

小沢一郎の二枚舌には呆れる。あちこちで指摘されているが、富田メモに対する見解はかっての発言から180度引っくり返っている。「第104回国会 地方行政委員会」における、佐藤三吾と小沢一郎国務大臣との質疑応答を長くなるが載せておく。

○佐藤三吾君 あそこにはA級戦犯も合祀されていますね。これについてはあなたはどういう認識ですか。
国務大臣小沢一郎君) 基本的に、お国のために一生懸命、その是非は別といたしまして戦ってそれで亡くなった方でありますから、そういう戦没者に、参拝することによって誠の気持ちをあらわす、また自分なりにそれを考えるということであろうと思います。したがいまして、A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではないだろうと思っております。たまたま敗戦ということによって戦勝国によって戦犯という形でなされた人もいる。あるいは責任の度合いによってABいろいろなランクをつけられたんでありましょうけれども、その責任論と私どもの素直な気持ちというのはこれは別個に分けて考えていいんではないだろうかというふうに思っております。
○佐藤三吾君 まあいいでしょう、あなたの率直な考えだからね。
千鳥ヶ淵には参りますか。
国務大臣小沢一郎君) 千鳥ヶ淵に今まで行ったこともありますが、靖国神社の方が今までも多かったと思います。何といいますか、自然な感じで靖国神社の方により多く足が向いたのであろうと思っております。
○佐藤三吾君 あなたの大体の姿勢、考え方というのはわかりました。
しかし、総理も言っておりましたが、A級戦犯の皆さんがなぜA級戦犯なのか、あなたBもAもCも区別ないような言い方をしておりましたが、それは中国にしても東南アジア諸国の皆さんにしてみても、これはまさに加害者ですからね。目の前で母や父を殺されていったという人たちが今四十、五十の一番その国を背負っている人たちです。こういった方々から見るとあなたのような理解にはならない。
そういう意味では、今こそ日本というのは、どちらかといえば経済摩擦などいろいろ引き起こしておりますが、まさに国際協調なしには生きていけない国ですよ。それはあなたも認識されていると思うんです。とりわけアジアの諸国民の皆さんと連帯を深めていかない限り、日本列島何か国引きの神でもってアメリカの西海岸まで引っ張っていけばこれは別として。そんなことできないとすれば、一国の大臣としてアジアの皆さんの心を心として、同時に償っていくというものがなければいけないんじゃないかと私は思うんですよ。あなたの議論を聞いておるとそこら辺がちょっと欠けておるように思うんですが、そう受けとっていいですか。
国務大臣小沢一郎君) 私は、委員会の席で私のいろいろなことを言っていいかどうかわかりませんが、基本的には日本はアジアの一員として生きていく以外にありませんし、またそういう位置づけが歴史的な経過の中で当然であろうと思います。また、それこそ民族的に言いましてもあるいはいろいろな思想、哲学の範疇の中におきましても、基本的にそういった意味の連帯といいますか、考え方といいますか、それはお互いアジア人の、アジアの国の中が一番理解しやすい、わかりやすい連帯の中にあると思います。
現実問題としての経済問題、政治問題、そういう点のアメリカという認識はこれまた別のことであろうと思いますけれども、私はそういう意味で靖国の問題も対外的に考えればその戦犯というものの本質の議論とは別といたしまして、アジアの諸国民の感情を害したりするようなケースがあるであろうということは十分私も理解いたしております。
しかし、私の考え方としては、対外的に言えば一戦犯の責任で済むという話ではないであろうと思います。したがいまして、これは国と国ということであれば、日本人全部が、日本国民がお互いに責任を負って、その中で、歴史のいろんな悲惨な状況が繰り返し起きておりますけれども、今後、本当にアジアの中の日本としての連帯と友好をお互いが保ち合っていかなければならない。その点につきましては、先生と全く同じ考えてあります。
○佐藤三吾君 同じじゃない。大分違いますよ。
しかし、いずれにしても、あなたはもう大臣だから、私は今大臣の見解を聞きよるわけですから、日本国の大臣としての見識をきちんと、きょうの議事録が海外でも注目されるかもしれぬし、そういう意味ではきょうは所信表明に対する質疑ですから、ただしたわけですから、そこら辺は大事にしてほしいということだけつけ加えておきたいと思います。

この時の小沢の見解は富田メモに対する発言と180度食い違う。

昭和天皇は本当に偉い方だったんだなあ。大御心(おおみこころ)だなあ」。民主党の小沢代表は20日、記者団にこう語った。小沢氏は最近でも「戦死ではない人たちが靖国神社にまつられること自体が間違いだ。天皇も堂々と参拝できるような本来の靖国神社にすべきだ」との持論を繰り返していた。

この発言はかって自分が言ったことを否定したことになる。転向したのか健忘症に掛かったのか知らないが、言うことがころころ変わるようでは責任ある公党の党首の資格はない。小泉の良い点は言うことがぶれないことで、小沢は見習うべきだが無理だろう。