義経に関する一般的な理解への疑問

義経と言う武将とその戦法について、義経は奇襲が得意、背後から攻める、と言う言葉をしばしば耳にする。これは一の谷合戦と屋島合戦の時の義経の戦法を評している言葉である。
一の谷合戦の逆落としは、平家側から見れば予想もしなかった所から攻められたので確かに奇襲であったろう。だが仔細に眺めれば、義経は相手方の一番の弱点、守備の盲点を見付け、そこから一番効果の大きい攻撃目標である敵本陣を衝いたのであって、非常に合理的な戦法と言うべきである。この攻撃を成功させるため、配下の全軍をもって平家の防衛線を攻撃して、敵の注意をそちらに釘付けにしている。
この作戦を背後を衝いたと見るのはどうも腑に落ちない。平家は義経軍が進撃して来る方に向かって防衛線を敷いている。それを背後から攻めたと見るのは理解に苦しむ。背後を衝いたとは防衛線の後ろから攻めたことを言う。この場合、海から攻めたなら、平家は背後から攻められたことになる。
屋島合戦における義経の攻撃を奇襲とか背後から攻めたと見るのは、より理解し難い。義経は阿波に上陸してから小さな戦闘を行っている。その義経の動きが屋島に伝わらなかったとするなら、平家の情報連絡能力の弱さに呆れる。これを奇襲と感じるのは、敵状把握能力の欠如と言うほかはない。更に、これを背後からの攻撃と見るのは、正面とは海側とする通念でもあるのだろうか。屋島の防衛線は陸側に対しても敷かれていた筈である。それを何故背後を衝いたと見るのか理解出来ない。
屋島合戦における平家軍の戦い方は誠に不様である。もし知盛が屋島にいたら、兵力で遥かに劣る義経は勝てなかったかも知れない。尤も義経は知盛がいない平家軍の脆さまで計算し、知盛不在の時期を選んだとも考えられる。知盛不在が義経勝利の一つの要因であったとするなら、その状況を作り出したのは範頼であることに、もっと注目する必要が有るように思う。