歴史

日本のヒエロ・グリフと神社

日本が世界ヒエロ・グリフ会議に始めて参加した時、日本で500点を越すヒエロ・グリフが発見されていることを報告した。そして更に質問に答えて、その大部分は神社の境内か神域に存在することを報告したと言う。 そこで疑問となるのは、神社とヒエロ・グリ…

湯築城歴史塾今年度最終回

いよいよ年も押し詰まり、今日は平成28年度湯築城歴史塾の最終回を迎えた。講師は桑名洋一氏で、湯築城保存運動の仲間で、会うのは久しぶり。今日の演題は「天正年間における芸予土の動静」で、長宗我部元親が四国制覇を目論んで居た頃の、毛利・河野と長…

戦国末期に南予で繰り広げられた合戦

昨日行なわれた今年度湯築城歴史塾第五回、「南予合戦と山城(永禄〜天正期)」と題する山内治朋氏の講演を聞いて、南予における一連の合戦が、頭の中で漸く整理された。山内氏は一次史料で確認される合戦を日付順に、何時、どこで、誰と誰が戦ったか、戦いの…

「漢委奴国王」印の読み方

今日NHKの歴史秘話ヒストリアで国宝の説明をしていた。その中に金印「漢委奴国王」も取り上げて解説をしていた。その説明の中でこの印を「漢の倭の奴の国王」と読んでいたのに少々呆れた。何時までそんな筋の通らない読み方をするのか。この印は「漢の倭…

城郭瓦から見た歴史

今日は湯築城歴史塾第三回「城郭瓦の出現と展開」。講師は公益財団法人日本城郭協会の加藤理文氏。瓦の歴史では面白みは期待していなかったが、予想に反して大変面白かった。瓦を造るために人が動くのは当然のことだが、瓦が動くと言う視点は全く考えても居…

湯築城歴史講座 平成29年度第一回が開催

湯築城歴史講座の今年度第一回が子規博で開かれた。テーマは「戦国期瀬戸内の物流と地域権力」で、講師は本多博之氏(広島大学)。 瀬戸内の物流の移り変わりとその要因が要領良く纏められ、最後は豊臣政権主導の物流構造となったことが素人にも理解できた。…

湯築城跡保存運動を決着させた加戸守行前愛媛県知事

中世の名城「湯築城」跡を守ろうと孤軍奮闘していた「湯築城跡を守る県民の会」にとって、加戸前知事には忘れがたい思い出がある。かって道後公園(湯築城跡)にあった動物園を砥部に移し、県はその跡に日本庭園を造ろうとしていた。その計画が発表されたの…

祝谷大地ヶ田遺跡から久米官衙遺跡群に至る遺跡群

道後地区には祝谷大地ヶ田遺跡、道後湯之町遺跡等が有り、その少し南には樽味遺跡、更にその南には久米官衙遺跡群等が有り、これらが南北に連なっている。 祝谷大地ヶ田遺跡は弥生時代の遺構と古墳時代(5世紀と見られている)の前方後円墳が有り、道後湯之…

湯築城と道後温泉本館で用いられた基準寸法が同一、これは何を意味するのか

先日NHKテレビが、道後温泉本館の最初から今に至るまでを様々な角度から特集していた。その中で一つ、大いに注目すべき事実が有った。本館の設計・施工を担当した坂本又八郎氏が採用した寸法取りは、廊下幅が6尺、柱の太さ5寸、柱間隔(芯~芯)は6尺5寸…

祝谷地区で初めて見つかった前方後円墳

『祝谷大地ヶ田遺跡6次調査』現地説明会に行って来た。場所は新旧二つの県道20号線が合流する地点をもう少し北に進んだ右手。2000年前の弥生時代の土坑が300個以上と、その一部に重なって5世紀後半の前方後円墳が出土した。祝谷地区の古墳は過去8基見付…

湯築城・岡豊城・中村城の同范瓦の土

湯築城と岡豊城・中村城並びに堺から出土した同范瓦の土の質を分析した結果が、今日の湯築城歴史塾の最後に報告された。分析結果では、湯築城と堺の瓦の土は一部に共通するものがあるとのこと。そして意外だったのは、岡豊城と中村城の瓦は同じ土で作られて…

平成28年度湯築城歴史塾第一回に関連して

平成28年度湯築城歴史塾「四国・安芸の中世城郭」の第一回、「土佐国城郭の特徴」が昨日子規記念博物館の4階講堂で行われた。講師は高知県文化財団埋蔵文化財センター 所長松田直則氏。 土佐の城は、土佐古来の城、一条・長宗我部時代の城、秀吉に降伏し…

道後地区の遺跡は何を語るのか

昨日の説明会によると、道後湯之町の遺跡は4千年前の縄文後期から晩期に掛けての遺物、2千年前の弥生時代と古墳時代の遺物が出土していると言う。2千年前から古墳時代に掛けての時期は、倭国と日本国が並立していた時代で、道後の南、石手川を渡って直ぐ…

道後湯之町遺跡二次調査現地説明会

今日は梅雨の最中なのに好天気で真夏を思わせる暑さ。椿湯の西側の発掘調査現地説明会に行って来た。 此処では縄文後期、弥生時代、古墳時代の遺物が出土し、4千年前の人の活動が確認された。出土品の中の黒曜石は、大分県姫島産と見られているそうで、大昔…

歴史の謎は実に不思議

歴史は実に興味深い。日本の歴史に限っても、不思議な点は幾つもある。先ず国の誕生に関わる神武東征記もあながち嘘と言い切れない点がある。 大昔に河内湾なる湾が存在していたことは今では知られた事実である。神武東征記をその河内湾の存在を前提として見…

バーミアン遺跡の復元

前田耕作先生がバーミアン大仏の復元に取り組んでいらっしゃる姿が、NHKで二度放映された。今日の番組では復元のために作成された画像を、総理官邸からの要請で、G7で各国首脳に観せることになり、志摩に向けて発送する様子も映された。是非とも成果を挙げ…

NHKの歴史実験は思い込みに過ぎない

壇ノ浦において平家が敗れた原因を探る歴史実験と銘打ったNHKの番組を観た。NHKの歴史番組はいつも皮相的で偏向が酷い。今日の番組もその例に洩れず、昔から言われて来たことを如何にも検証したかのように見せかけた皮相的な出来だった。 言わんとする内容は…

湯築城歴史塾第5回中野良一氏の講演

流石湯築城跡の発掘調査に全期間従事した方だけに、湯築城の歴史解明に関し、考古学的見地から見た課題を的確に、判りやすく聞かせた。その中で次の5つの点について詳しく聞いて見たいと思った。 1.湯築城の形状について最初から問題視されている北東部の…

湯築城の形状は地形との関係で読み解ける

今日の湯築城歴史塾で、講師の柴田圭子さんが湯築城北東部の切り欠きは地形との関係と主張した。全くその通りで、鬼門除けなどと言う見解は現場を見ていない人の言うことである。なお、柴田さんは湯築城の調査を全期間にわたってなさった方である。 湯築城の…

神武東征の真偽

今日、「東京塾・第26回研修会【長浜浩明】古代日本「謎」の時代を解き明かす 2014.11.8」と題する動画を観た。この動画では大阪の地勢の変化に照らし合わせて、神武東征が有り得たことを示している。 大阪には遥か昔に河内湾が有ったことは、今では広く知ら…

木型製法による瓦作りは古代から

今日湯築城歴史塾第2回「古代の道後」が開かれた。講師は松山市教育委員会文化財課の岸見泰宏氏。岸見氏は大学・大学院を通じて瓦の研究に取り組んでいたそうで、出土した瓦の話が多かった。 岸見氏によると、古代から木型製法で瓦を造っていたとのことで、…

倭國と邪馬臺國と日本に関する見解の進展

従来魏志倭人傳の倭國と邪馬壹(臺)國を同一と見做し、その女王が卑弥呼であると読んでいた。そしてその邪馬壹(臺)國の位置について九州か大和かと論争が続いていた。 所が近年に至り、倭國と邪馬壹(臺)國は別の国とする説が出始めた。なんでこれに早く…

韓国の昔を示す絵葉書が見つかる

韓国にとっては不都合な発見だろうが、これは歴史の真実。 *新発見された韓国資料が『物凄く都合の悪い真実』を世界に露呈。日韓併合直後の半島の実情を赤裸々に暴露 似た写真を西洋人が残しているので、当時の状況は知られていることだが、問題はこのよう…

謎の土器に隠された古代日本人ミステリー

南太平洋に浮かぶバヌアツ共和国で出土した土器が縄文土器であり、エクアドルで出土した土器が縄文土器の系統であり、エクアドルのアイマラ族が持つATLウィルスの遺伝子配列から見て縄文人の子孫であることがほぼ間違い無いと言う。土器のことは随分前から言…

インカと日本人

編集 先日、インカを造ったのは日本人かと言う番組を観た。その番組では、インカの人々はモンゴロイドで、昔は、シベリアからアラスカに渡り、北米を南下し南米に辿り着いたと考えられていたが、インカのミイラからズビニ鉤虫の卵が見つかったことで、このル…

中国の歴史書に見る「倭」「日本」(心覚えに記す)

編集 倭・倭人関連の中国文献http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%83%BB%E5%80%AD%E4%BA%BA%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%96%87%E7%8C%AE1.旧唐書『旧唐書』本文 日本について『倭国』と『日本国』の条がある。「日本」の名称…

平成25年度歴史塾の最終回

「二神家と予州家」と言うタイトルだったが、二神家については史料が乏しいためか、詳しい話は無かった。これは仕方あるまい。その代わりと言っては失礼かも知れないが、通義ー通之ー教通と続く河野家系図に関する伝承に疑問を投げかける話は、聴かせる内容…

平成26年度湯築城歴史塾始まる

今年は例年より遅く始まった。今年のテーマは「河野氏と海の諸勢力」で、第一回は忽那氏。鎌倉幕府成立後、各地に東国武士を地頭として配したが、忽那氏は数少ない西国地頭の一つであったことから、源平合戦で幕府に認められる功績があったのであろう。この…

法隆寺を誰が再建したのか

昨夜、NHKプレミアム・アーカイブスで法隆寺再建について、細部にわたって分析していた。最初の法隆寺は焼失し、今に残る法隆寺は再建されたものである。 所が、現在の法隆寺の建設は古い法隆寺が焼ける前に始まったと言う。日本書紀によると天智天皇9年…

地形に関心を向けて欲しい

『日本史の謎は「地形」で解ける』(竹村公太郎著)が面白い。歴史に「地形」が大きく関わっているという視点は当を得ており、全面的に賛成だ。だが歴史の解明に地形を見ようとしない人が多いのは不思議である。河野氏の居城であった湯築城は不思議な形状を…