中学の二人の恩師

ブログ将門(9月24日)「社会の中での自分の役割と個人的な内面」で『だから戦争に負けて、社会ががらっと変わったとき、個人としての自分までが、立っている足もとの地面が揺らいで、この先どう生きていっていいかわからないような状態になってしまったのでしょう。(「13歳は二度あるか」2005.9.30大和書房「第2章社会と関わる、自分を生きる」)』と言う一文が引用されている。
自分自身でも似た覚えがある。敗戦とともにそれまでの権威や規範が崩壊し、持て囃されて来たことが否定され、常識が常識でなくなってしまった。そうなると何を信じて良いのか判らなくなる。これはこのように考えるべきだ、これが正しい、などと言われても、本当かいなと総てに疑い深くならざるを得なかった。そのような状態において支えとなったのは、戦時中の中学の二人の先生の言葉だった。お二人とも付和雷同を厳にいましめ、自分で考えろ、そして自分で理解しろと繰り返し仰った。総てが崩壊した中でこれだけは時代を越えた真理として残り、無意識のうちに自分の行動を律して来たように思う。そのため随分損もしたが、今何とかやって行けるのもお二人の先生の教えのお蔭であると、上の一文を読んであらためてお二人を懐かしく思い出した。