我が国の技術

「」Meine Sache 〜マイネ・ザッヘ〜」と言うブログに「素晴らしきテクノロジー」と題する記事がある。そのブログの運営者が大きな事故を起こしたが、その車を作った優れた技術のお陰で僅かな怪我で済んだことを感謝し、「テクノロジーとは簡単にコピーできるものではなく、血の通った文化なのだと感じずにいられません。」と結んでいる。これに対し、「目立たない所に使われているテクノロジーこそ真の国力、民力ですね。」「裏を支えている精神という物がいかに大事かということかと思います。」と言うコメントが付いていた。全くその通りで、単なる真似では似て非なるものしか作れない。
それを如実に示す報道が「中国製の四輪駆動車は安全性テストで星ゼロ」で、ヨーロッパで初めて発売される中国製の四輪駆動車が、安全性テストにおいて星ゼロという惨憺たる結果に終わったことが明らかになったと言う。その状況を示す動画を見ると、エアバッグも装備されていて、衝突時に開いているが、衝突で乗員スペースが完全につぶれてしまい、エアバッグは何の役にも立たなかったらしい。この事実は、エアバッグなど最新の装備を付けても、それが有効に機能するための条件まで頭が廻っていないことを示している。即ち仏作って魂が入っていない典型的な事例である。
戦後アメリカとの隔絶した技術力の差を見せ付けられ、何とかアメリカに一歩でも近づきたいと絶望的な努力を続けた日々を思い出す。突出した技術一つで優れた製品を作ることは出来ない。優れた製品を送り出すには、関連する技術とその製品のレベルが揃うことが不可欠の要因である。我が国の技術が今のレベルに達したのは、自分らの技術を磨くだけでなく、関連する総ての業種の向上を促し、互いに支援し合う努力を続けた成果である。日本の成長を実現したのは大企業だけの功績ではない。優れた中小企業群が支えたと言うのが正しい。裾野を広げる努力が今の優れた技術力の根源であることを忘れてはならない。日本ほど品質に厳しい国はないと言われるが、それは戦後の我が国再建の道程から国民全部が必然的に体得したものではなかろうか。それが我が国の民度であり、技術を支える精神であり、国力、民力であると思う。