「邪馬壹」と「邪馬臺」と「邪馬台」

 ブログ将門に「漢委奴國王」の印に関する話題の続きで、『「漢委奴國王」のことで』と題する記事がある。それに関して思うところを書いて見る。
 古田武彦氏は『「邪馬台国」はなかった』で、魏志倭人伝は原文の「邪馬壹国」のまま読むべきで、固有名詞を恣意的に読み替えるのは間違いだと言うことを主張している。
 魏志倭人伝の原文は「邪馬壹」だが、これは「やまと」の音を表現するために当てた字と考えた人達が、本当は「邪馬臺」とすべき所を「臺」と「壹」は良く似ているので「邪馬壹」と書き間違えたのだろうと主張し、いつの間にかそれがまかり通ってしまい、更に「臺」を略字の「台」に置き換えて「邪馬台」と書くようになってしまった。古田氏の『「邪馬台国」はなかった』と言うタイトルは、この二重の置き換えを強く批判したもので、「邪馬台国」なんて国はどこにもなかったよ、あったのは「邪馬壹国」だよと言う意味である。
 確かに固有名詞の字を置き換えるのは間違いである。例えば「渡邉」さんと「渡辺」さんは別人である。事実公的な書類で「渡邉」を「渡辺」と書いたら受理されない。これは当然のことで、仮に「邪馬臺」が正しくても、それを「邪馬台」と書くべきではない。なお、我が国では「台」を「臺」の略字としているが、中国では別の字だそうで、この点からも「台」に置き換えるのは誤りである。
 更に根本的な問題は「邪馬壹」か「邪馬臺」かであるが、中国の史書には後漢書が「邪馬臺国」、魏志倭人伝は「邪馬壹国」、もう一つは何だったか忘れたが「邪馬堆国」と書いている。後漢書に「邪馬臺国」と書かれていることが「壹」は「臺」の誤り説の根拠の一つになっているが、後漢書が正しく他は総て誤りと証明されない限り、他の史書を濫りに変えるべきではないのは当然である。
 そもそも「邪馬臺」を「やまと」の音に当てた字と考えるのは日本人の感覚による判断で、本来は魏の音で考えるべきことである。かなり前のことだが、中国の上古音と中古音を解説した本があり、それに「邪馬壹」と「邪馬臺」の上古音が載っていた。それによると、何と「邪馬壹」は「やまと」に近い音であり、「邪馬臺」は全然違う音になっていた。魏の音が上古音と同じかどうか判らないので、これだけで判断することは出来ないが、日本語の感覚で「壹」は「臺」の誤りとして置き換えるのは、余りにも軽率な行為だと思うし、それを「台」と書くのは論外の愚行である。