専福寺の移転場所

談話室ゆづきの#5001(mino阿弥さんの投稿)に専福寺は何回も場所を移したことが記されているが、その場所について気になることがる。

専福寺(専称坊)創建河野通勝(入道専称坊)。三宅村木瀬・伏屋村・正木村・上川手村・新加納村を経て竹ヶ鼻村に移る(現羽島市竹ヶ鼻下城)。真宗大谷派竹ヶ鼻別院。一寺を分かち加納専福寺(岐阜市加納新町)がある。(岐南町史より)

上記の場所を境川を美濃・尾張の境として見ると、加納専福寺のみが美濃側であり、現木曽川を境とすると創建当時の専福寺のみが尾張側となる。これが何かを意味するのか今は不明だが、移転の時期と関係があるのではないか。
【追記】(2006/10/01)
「創建当時の専福寺のみが尾張側」と書いたのは誤り。専服寺の創建場所は現愛知県一宮市葉栗と記したサイトがあり(2006/09/06「河野十八門徒の記事」参照)、この記事を書いた時はまだそれが間違いであることに気付かなかった。創建場所は葉栗郡河沼郷木瀬で、現在は岐阜県岐南町三宅である。従って「木曽川を境とすると、総て美濃側である。」が正しい。