県教委は遺跡を活かすことを考えていない

湯築城資料館で県教委の某氏に会ったので、湯築城跡の未調査区域の調査をどう考えているのか訊ねて見た。すると湯築城跡は兎に角守られたと言うのみで、この貴重な遺跡をどのように地域造りに活かしていくかなど、将来への理念は全く感じられなかった。
10月28日(?)の愛媛新聞に載った愛媛大学田崎博之教授の言葉を一部引用する。

遺跡や遺物には社会的財産としての文化財という評価が与えられている。
文化財である遺跡、遺物を扱う学問だからこそ、考古学者には、過去に関する自らの知識が未来の形成にどれだけ貢献できるかが問われる。
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考古学者は、研究成果をどのように社会や地域に還元していくかの論議や実際的な試みを出発させている。考古学、そして考古学者は、自らの存在理由を問い直し始めている。
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(考古学協会愛媛)大会がこれからの考古学と地域のかかわりを考えていく上で大きな節目になればと期待する。

国史跡に指定され、日本名城百選にも選ばれた湯築城跡が、行政による破壊を免れたのは十数年にわたる市民運動の成果であるが、その間県教委は何もせずそっぽを向いていた。湯築城跡を守った市民運動は守ることだけを目的としたのではない。目指したのは「歴史的・文化的な環境を守り発展させ、風格のある地域づくりを進めよう。」であった。行政による破壊から守ったのは通過点であり、次のステップの出発点である。県教委はそのような視点を今も全く持っていない。
「考古学は地域に勇気を与える。」とは森浩一同志社大名誉教授の言葉である。湯築城本体部分が未調査のままでは、湯築城の全貌を語ることが出来ない。このような状況で放置しては、地域に勇気を与えることができる筈はない。地域に還元すべき成果も不十分のまま放置する県教委には、使命感も理念も意欲も無いと断じざるを得ない。高校の未履修問題で、校長の責任を問うと県教委は言ったらしいが、県教委自身の責任をどう考えているのか、自らを反省すべきである。このまま何もしないなら、我々は今一度行動を起こさねばならないであろう。