三草山の正しい位置を確認

昨日これが三草山(頓田山)と判断した山は誤りで、会下山の直ぐ西の山が本当の三草山らしいと気が付いた。誤認した原因は、どちらもタンクが築かれているからで、昨日は丸山駅近くの山にタンクを見付け、鹿松峠に向かい合うとの記述からこれが三草山と判断した。今日地図や航空写真を再チェックしていたら、会下山の西の山上にもタンクを見付け、兵庫歴史研究会の資料の記述や写真と突合せた結果、これが三草山であると確認した。これで平家の山の手陣との関係もすんなりと理解出来る。最後に残ったのは北岡と増田山の位置。北岡は聞いたような名前だが、地図で見当たらない。増田山はその辺りが完全に市街化しているため、今では昔の面影は無いと思われる。この二つが確認できれば、一の谷合戦の全貌が理解できそうなので、何とか見つけたい。