等妙寺旧境内の場所を調べていたら先祖の名が

国史跡に指定される予定の等妙寺旧境内の場所を調べていたら、「Go!Go!KIHOKU」と言うサイトの『両界曼陀羅』のページで、先祖の名に出会った。その一節を記す。

「宇和日記」によれば、建武元年(1334)7月、開田善覚(立間郷主)が代価120貫文で買い求めて寄進し、天文18年(1549)8月には金山城(成家)主今城左衛門尉能光が修復、智光院に寄進したとあります。
(町指定有形文化財
所在地  :芝 等妙寺
指定年月日:昭和52年10月28日

天文18年と言うと、今川義元織田信広を捕らえて松平竹千代と交換した年で、織田氏はまだ信秀の時代。南予の情勢はどのようだったのか、これから調べよう。今城能光の名は知らなかったが、時期から見て能信の祖父ではなかろうか。つまり、能光−能親−能信−能興と続くのではないかと推測する。思いがけない発見だった。
【注】宇和日記は宇和旧記の誤りと思われる。