また巡って来た8月15日

当たり前のことだが、今年も8月15日がやって来た。校庭に整列して玉音放送を聞いたあの日の情景を思い出す。この日を新聞やテレビで終戦記念日と言うが、それは大間違いである。この日は停戦日であって、終戦ミズーリー号上で降伏文書に調印した9月2日である。厳密に言うと、講和条約を締結した1951年9月8日というべきか。
停戦後もソ連は侵攻を続けた。そのため樺太の真岡ではソ連軍が間近に迫るまで交換業務を続けた電話交換嬢が、「内地のみなさん、これが最後です。さようなら……」の声を残して集団自決するなど、各地で悲劇が起きた。停戦後も侵攻を続けるのは重大な国際法違反である。北方四島問題も、中国残留孤児も、ソ連軍の不法な火事場泥棒行為が引き起こしたものである。
8月15日になると毎年各地で戦没者の追悼や、平和の願い、不戦の誓いなどが繰り返される。だが戦争をしない、戦争を無くしたいと言う思いだけで戦争が無くなるものではない。戦争を無くしたいと思うなら、そのために何をなすべきか、そこまで突き詰め、行動すべきである。戦争を風化させず、語り継いで行くと言うからには、真岡で散った交換嬢たちの悲劇も忘れてはならない。そしてこのような悲劇が何故起きたかを明らかにし、歴史の一頁に留めることも大切である。
かってクロアチアに行った日本人が、軍隊があるから戦争が起きる、軍隊を無くした方が良いのではないかとと言ったら、クロアチアは始め軍隊がなかったから攻められた、今は軍隊が守って呉れるから安心していられると言われて、後の言葉が出なかったと言う。本当に戦争を無くそうとするなら、戦争反対、戦争は嫌ですと言うだけの情緒的反戦論から、一日も早く脱却しなければならない。