笹ヶ峠合戦か一丁原合戦か

天正2年(1574年)に起こったと伝えられている笹ヶ峠合戦を、大洲地区の古記録は一丁原合戦と伝え、久万町の大野氏古記録では笹ヶ峠合戦と記しているらしい。戦いの名称に付けられた地名は、一般に戦いが展開された地の名前である。伝える地域によって名称が異なるのは何故か。一丁原と笹ヶ峠が隣接していて、例えば笹ヶ峠を降ったところが一丁原で、合戦は両者で繰り広げられたのなら、人に依って二通りの呼び名が出来たのも判らぬではない。
だが今のところ一丁原の場所を特定できる材料がなく、また両者が隣接していると読める記述に行き当たらない。この点が解明されないと、更なる進展は難しい。