高座堰確認

松山市在住の郷土研究仲間3人で作っている同人誌「参参(しんしん)」第11号に、石原通宏さんが「石手川点描(1) −消えた堰?−」を書いていらっしゃる。消えた堰の一つは草葉堰と岩堰の間にあった高座堰で、取水口は石手川の左岸とあり、写真も載っている。江戸時代の古図を見直すと、確かに高座堰溝が描かれていた。
これは確認しなければと昨日行ってみて、それらしいものを見つけたが、場所が違う。そこで今日もう一度出掛け、倉敷橋とR317の間の道の両側を観察して行くと、水が流れていない水路が一本あった。その水路は道から西には伸びているが、東は家が建っていて水路は無い。これがかっての高座堰溝の名残と見当をつけ、R317から美浪橋を渡り、橋の袂から石手川の右岸の細い道を西に入って行った。その細い道は北側から石手川に流れ込む小さな川で行き止まりになるが、その地点から対岸を見ると水門らしきものが見える。近くで畑仕事をしていた年配の人に尋ねたら、それが昔使われていた取水口であると教えて呉れた。石手川一級河川に指定された時、堰は取り除かれ、取水口は残っているが、それに繋がっていた水路も今はないとのこと。かっての堰は腹くらいの深さだったそうだ。川の中に草が生えている場所があるが、元々は岩が盛り上がっていた所で、一級河川に指定された時に岩を削り取った跡の由。削り方が不十分だったのか。
色々教えて貰った礼を述べて、再び取水口の上に行って見る。確かに水路は無くなっているようだ。取水口の写真を撮ったが、参参に載っている写真と微妙な違いがあり、この点が些か気になる。
【参参:http://www.kotaro-mil.zonamosi.net/shinshin/shinshin.htm
【参参ブログ版:http://blog.livedoor.jp/shin_shin_matsuyama/