湯築城資料館で開催中の企画展「道後の由来」
平成21年度湯築城資料館企画展「道後の由来」を見学。8日に一度行ったが、時間が無くざっと見ただけだったので、今日ゆっくりと見直した。
道前・道後の地名は、中世の史料によると多くの地域で使われていたことが確認でき、愛媛県では道後の地名が今に残り、中でも道後温泉の名は全国に知られている。道前の名は秋田、愛知、福島、宮城、岩手県などに残っている。
愛媛県の道前・道後は高縄山を境としていたらしい。その道前・道後を確認できる史料は、平安時代の長寛二年(1164)の弓削島庄住人等重解(ゆげしまのしょうじゅうにんらかさねてのげ)が一番古いらしい。15世紀の史料では、神崎庄(現在は伊予市内)や浮穴郡太田(現在喜田郡内子町小田)が道後と認識されていたことが判り、この時代には道後はまだ広域地名であったことが確認できる。
16世紀中頃になると、湯築城や道後温泉周辺を指す用例が散見されるようになる。また、河野氏やその権力体を指し示す用例が確認できるとのことで、広域地名であった道後が、政治・経済の中心である現在の道後を指す地名に変遷して行ったと見られる。
今回の企画展は道後と言う地名の由来と変遷を示す史料を数多く展示し、さらにそれらを網羅する「平成21年度 湯築城資料館企画展『道後の由来』展示図録」を発行している。この美麗な図録を作ったのはヒットで、毎年開かれている企画展の中で今回が一番良かったと思う。毎年続けて欲しい。