事業仕分けについての所感

本エントリーは、昨日の「事業仕分けに関する小池百合子氏の見解」に頂戴した、大和さんのコメントに対するお答えとして記す。
今回行われた事業仕分けは、様々な問題を国民の目に晒した点は評価して良い。しかし、政府の基本理念、国の将来像と、それを実現するための基本方針を明らかにすることなく行われたことが、致命的な欠陥だった。基本方針が明らかでないと言うことは、何を採り何を捨てるか判断するための判断基準が無いことを意味する。
例えば科学・技術立国のためには、どの分野に力を入れるか、そのためにはどのような施策を行うか、等の基本方針が明確になっていなければならない。
次世代スパコンの研究開発費を否定したときのやり取りをテレビで見たが、仕分け人の追及はこのような判断基準に基づくものでなく、一位でなければいけないのか、二位ではダメなのか、直ぐに成果が期待できるのか、など次世代スパコンの意義や目的、国の基本方針に無関係な議論に終止していた。凍結の判断に一斉に批判が噴出したのは当然のことである。
万能細胞を世界で最初に作った山中教授は、成果に結びつくまでに十年掛かったこと、それも色々な研究が結びついて今日の成果が得られたと語っている。研究で実るのは、多くのテーマの中のごく一部であり、どれが実るかはやって見ないと判らない。未知のことに取り組むのだから当たり前のことである。だからと言ってやらなければ何も生まれない。十年で成果が得られたのは、早い方ではなかろうか。近年ディスプレイに使われだしたELは、研究が始まったのは昭和30年より前で、既に50年ほど経過している。
研究開発とはこのように多くの研究者の長い年月にわたるたゆまぬ努力の賜物であるが、一たびすぐれた発明・発見がなされると、世の中の様々な分野に劇的な進歩・変化を齎す。ペニシリンの発見は医療に革命を齎した。半導体バイスの出現は、科学・技術・産業だけでなく、社会の隅々まで行き渡り、我々の日常生活を支えている。コンピューターはあらゆる研究や技術、更には社会システムにとって無くてはならぬものとなり、世の中を支えている。ここまで来るには何れも長い年月を要している。それを一年や二年で成果が期待できないからと切り捨てるのは、科学や技術を全く知らないことを自白しているようなものであり、そのような者に1時間やそこらで予算の当否を判断させること自体が間違いである。
次世代スパコンは色々な方面で待望されているものであって、完成すれば多くの分野で成果が期待できることは間違いない。待望され、成果が確実に期待されると言うことは、逆に言えばこれが無ければ多くの分野の研究・開発に支障を来たすことを意味する。そのように科学・技術の進歩発展の根幹をなすものを切り捨てるのは、我が国の科学・技術立国を止めると宣言するに等しい暴挙である。
外国から買えば良いと言った人が居たが、物事を知らないにも程がある。かってアメリカはパソコンですら共産圏への輸出を厳しく規制し、諸外国にも同調するよう求めた。最先端の技術・製品を競争相手に簡単に提供するはずはなく、提供するにしても何かと理屈を付けて遅らせるか、大きな代償を要求するのが常套手段。技術にしろ製品にしろ、最先端に属するものを自力で開発できなければ、他国への隷属の道しか無い。今回の仕分け通りに実行されたならば、日本は三流・四流国家へ衰退する道を辿るのは明らかである。韓国の外交官が自殺行為と評したのも当然で、日本の最大の武器を放棄させるに等しい蛮行は絶対に許せない。