堀江地溝帯の川の生い立ちと変遷

堀江地溝帯の川が生まれたのは、地溝が埋まってからである。地溝が埋まるまでは東側の花崗岩の岩盤上の土は皆地溝に流れ落ち、地溝が埋まってから岩盤上に再び土砂が堆積して行ったと考えられる。
湯築城跡で弥生住居跡が出土しているが、その標高は40m近い。一方堀江地溝帯西端の船ヶ谷遺跡は同じく弥生時代の遺跡であるが、標高は海抜2mくらいである。この違いは地溝が埋まった後の土砂の堆積速度が、場所により凄く違うことを意味している。
この点も堀江、和気の川の生い立ちや変遷を考える上で考慮しなければならない。