湯築城居住区の基盤層は石手川の氾濫層か

湯築城発掘調査報告書第二分冊に、土層標本に関する見解が記されている。それによると、居住区の基盤層は石手川の氾濫層、IV層は出土遺物から10〜16世紀の層とある。この見解は外堀土塁の調査で発見された弥生時代住居跡が、基底層(IV層)表面の直ぐ下にあることと整合しないように思う。
IV層の厚さは50cm程あり、これの一番下が10世紀とすると、弥生時代はそこから更に下方になければならない。IV層が10〜16世紀という判断は間違っていないか。これが第一の疑問。
次に、基盤層は石手川の氾濫層との見解だが、IV層から上に氾濫層が全く存在しない。石手川は10世紀以後も氾濫しているが、氾濫しても湯築城に被害が及ばなくなったのは何故か。
基盤層は氾濫層でなく、昔石手川湯築城の南側を流れていて、土砂を堆積させたが、或る時期に流路を南に移した可能性は無いのか。基盤層は流路が変るまでに堆積した層ではないのか。
もしこの見解が正しい場合、流路を変えた時期はいつか。
問題はまだ沢山ありそうだ。