墨書土器の「土州様」に関する考察

湯築城跡で「土州様」と墨書された土器が出土しているが、この土器が出土したことは、ここで「土州様」を交えた宴席が設けられたことを意味する。問題は「土州様」とは誰か。次にその宴席が設けられたのはいつか。この二点を先ず明らかにしなければならぬ。
湯築城拡張時(1835年)以後、この近傍で土佐守を拝領した人物、もしくは土佐守を名乗っていた人物は誰か。これが意外に判らない。
この近傍で土佐守と言うと先ず頭に浮かぶのは長宗我部元親であるが、元親が土佐守を貰ったのは天正16年(1588年)秀吉からで、湯築城開城後である。もう一人の土佐守は今治7万石小川祐忠であるが、今治に居た時期は1598年から関が原合戦のあった1600年までの足掛け三年間である。
もしこの二人のうちどちらかが伊豫を訪れ、湯築城での宴席に出たとしても、時期は湯築城開城後となるので、それを迎えたのは河野氏ではあり得ない。勘では加藤嘉明だが如何?
【参考】長宗我部元親が土佐守になったのは