歴史研究の進展について行けない世の中の認識

N先生と話ている所にガイドさんが質問にやって来た。質問の内容は詳しくは判らないが、断片的に聞える話からの推測だが、湯築城を造ったのは通盛ではないのかということだったようだ。N先生が、湯築城を造りそこで最初に戦ったのは、北朝方に間違いはないが、誰かは判らないし、通盛とは考え難いと説明なさったが、それが不満だったようだ。通盛でないと言うのは確定したのかと更なる質問。研究者の間では確定したようなものだという回答に、更に、それを証明する何かがあるのかと食い下がる。勿論無いが、通盛だと言う証拠は更にないとの説明にも、確定していないと言うことですねと、湯築城は通盛の築城になるとの在来の伝承に拘る。
湯築城を造ったのは北朝方ではあるが、それが誰であるかは不明。河野氏湯築城に本拠を移したのは1400年前後と言う説明は、ガイド研修会でもしているし、先月の歴史塾で、川岡先生もしている。それなのに何で在来の伝承にまだ拘るのか理解に苦しむ。こんな話は10年以上も前から聞いている。それを今頃何を言うのかと言いたくなるが、世の中の認識を変えるのには辛抱が居る。