魏志倭人伝の侏儒國とは

昨日散歩の帰り、湯築城北口で信号待ちしていた時、小柄の女性に道後商店街への道を聞かれた。帰路と同じ方向なので、商店街入り口まで案内した。歩きながらその女性は、道後って良い所ですねと語りかけて来た。道後が気に入って何度も来ているらしい。人力車に乗りたくて、乗ったら人に見られてお姫様になったような気分になり、嬉しかったと言う。女性の心理を垣間見た気がした。
商店街入り口で別れ、用足ししてから商店街に入ったら、アクセサリの店で先ほどの女性が品選びをしていた。綺麗なアクセサリを身に付けてお姫様になった姿を夢見ていたのだろうか。夢を壊してはいけないので、声を掛けずにその場を離れた。
その女性は非常に小柄で、恐らく身長4尺5寸位だろう。魏志倭人伝に侏儒國が記されている。そこの人は身の丈三、四尺と言う。実は松山に来て直ぐ気が付いたのだが、身長4尺位の人を見ることが多い。流石に3尺という人を見たのは一回だけだが、小柄の人が多いのは特徴的と思う。
他の地域では小柄でもせいぜい5尺くらいまでで、身長4尺の人を見ることは少ない。宇和島でも小柄な人が多いと感じたことがある。この事実は何を意味するか。愛媛の西部というか、中予から南予にかけた一帯のどこかに侏儒國があったのではないかと言う気がする。
昨日会った女性から話が飛んでしまったが、侏儒國は魏志倭人伝を考える際に忘れてはならない要素の一つと思う。纒向遺跡倭国連合の首都である邪馬臺(壹)国に比定する説が強いが、纒向遺跡の東、海を渡った所に侏儒國と比定できる場所があるだろうか。無い。この点で無理があると思う。