義経は大陸の戦法に通じていたか?

歴史街道10月号は楠正成を大きく取り上げている。その中で童門冬二が「天才的な軍略と強烈な侠気・・・痛快無比の英雄の魅力」と題して楠正成を描いている。これを読み進めると次の一文に目が止まった。

彼(正成のこと)が「天才軍略家」の名をほしいままにする背景には、日常生活の中で、源義経の戦例や、僧兵たちの戦い方から、蒙古や朝鮮の戦法まで、広く知りうる立場にいたことがあるかも知れません。

この一文は童門冬二氏が義経は大陸の戦法に通じていたと見ていることを示す。全く同感である。義経の戦法は「やあやあ我こそは・・・」ではない。敵の中枢を潰すことによって全軍を崩壊させるという戦い方である。そのために情報を駆使し、戦う前に勝てる状況を作り出す。この戦い方は日本古来の戦い方ではない。
義経が庇護を受けた藤原秀衡は大陸との交易をしていた節がある。ひょっとしたら義経自身も大陸に渡ったことがあるのではないかと思えてならない。
上記一文は、義経が大陸の戦法に通じていたと童門冬二氏が考えていることを物語っているが、氏が何を根拠にそう考えるのか、詳しく知りたいものだ。
【追記】今気がついたのだが、上に掲げた一文の意味を読み違えていたかも知れない。その文は、義経の戦例と僧兵たちの戦い方、蒙古や朝鮮の戦法を列記しただけで、義経の戦例を通じて大陸の戦法を知ったと言う意味ではなさそうだ。ちと早とちりだったか。(09-16記す)