18年前の今日阪神淡路大震災

あの大地震には強烈な思い出が残る。その頃は横浜に居たのだが、所用で地震の直前に神戸に行き、前々日に帰って来た。帰る前に久し振りにセンター街を歩こうとしたが、頭が締め付けられるような感じで気分が悪く、吐きそうになったので歩くのを諦め、新幹線で帰ってきたのだが、新幹線に乗ったら気分の悪さは嘘のように消えてしまった。これは地震の予兆を感じ取っていたのかと、今以て不思議でならない。
女房は従姉妹の家に行き、一日遅れて地震の前日の夜戻って来た。地震が起きたのはその時から10時間も経っていない。当日の朝、神戸が大変という女房の声に起こされ、テレビの画面に釘付けになった。その時の画面を今もはっきり覚えている。
ただ、阪神淡路大震災という名称には強い違和感がある。この名では明石が抜け落ちている。明石の被害は大阪以上であった。更に「阪神」とは地元では大阪と神戸の間の意味である。そういう名称を使ったのは、地元の感覚を知らない者が付けた名称であることを物語る。兵庫県南部大震災と称するのが、実態に一番近い名ではないかと思う。