戦時中の英語教育

昨日湯築城を散歩していた時のこと、同年輩の人と巡り合い、様々な話しが弾んだ。梅や桜の花のこと、川蝉の話から、果ては戦時中に学徒動員で吉田浜の海軍基地(今の松山空港)に行った時、艦載機の襲撃に遭ったことなどに話が及んだ。
そこで宇和島高女で英語教育をしなかった話を思い出し、松山ではどうだったのか尋ねたところ、敵性語禁止で英語の授業は無かったとのこと。宇和島高女が英語授業を止めたのが同校だけのことか県全体がしなかったのか、教委に尋ねても昔のことなので判らないとの返事だった。それが今日、当時中学生(旧制)だった方から松山の公立中学でもやらなかったことが確認できた。どうやら愛媛県が方針として英語教育を止めたものと考えられる。
岐阜県立中学では英語授業をやっていたし、教科書は文部省発行だったことから、国が英語教育を禁止したのでないことは明らかである。にも拘わらず英語授業を廃止した学校があったのも事実で、それはどうやら県レベルで決めたもののようだ。先走りのおっちょこちょいの仕業としか言いようが無い。