湯築城の形状は地形との関係で読み解ける

今日の湯築城歴史塾で、講師の柴田圭子さんが湯築城北東部の切り欠きは地形との関係と主張した。全くその通りで、鬼門除けなどと言う見解は現場を見ていない人の言うことである。なお、柴田さんは湯築城の調査を全期間にわたってなさった方である。
湯築城の形状は四角形とも円形とも言えない不思議な形であるが、詳しく観察すると、地形を徹底的に利用した知恵の塊であることが判る。湯築城は二重堀と言われるが、北・南・西の三方は殆んどが城外に川が巡り、実質三重堀である。かって弓をやっている人がこの状況を見て、この城を攻めるのに弓は全く役に立たないと評したことがあった。飛び道具は弓矢しか無い時代に弓が役に立たないとなると、湯築城は難攻不落の城であることになる。
湯築城が不思議な形をしているのは、当時の主要武器である弓矢が無力となる構造を、自然の地形を巧みに防御機能として活用しようとした結果であり、湯築城が当時の人の知恵の結晶であることを物語る。このように知恵を絞った結果、日本初の二重堀、平山城、城内に居住区という構造を創り出し、近世城郭の基本構造が出来上がった。
東側は川が存在しないので他の三方より防衛機能は劣ることになるが、その弱点を補う何かがあった筈である。それが何かは判っていないが、ただ一つ、東側の外堀土塁が版築工法で突き固められていて、物凄く固かったと調査員から聞いたことがある。このように他の三方の土塁と様子が違うことにヒントが有るように思われる。版築工法で築かれているのは、その上に重量構造物が有ったことを意味するのでは無かろうか。川が無い代わりに防御力の強い構造物を設けて守りを固めたのでは無いかと推測しているが、史料が無いので今は何とも言えないのが口惜しい。調査を進めて早く解明して欲しい。