草葉川の元の流路

草葉川は今は岩堰の北の草葉堰から出ているが、元は現岩堰の直ぐ下から流れ出ていたと考えられる。湯渡橋の直ぐ東側ではその元の流路が残っていると思われる。
1.この推測が正しいなら、昔の草葉川は樽味遺跡の直ぐ北側を流れ、湯渡橋の辺りで南に向きを変え、樽味遺跡の西側を掠めて流れたことになる。樽味遺跡の水は草葉川に依存していたのではないか。
2.そうだとした場合、樽味遺跡のある地帯は早くから安定した地層であったことになる。その地層はどうして出来たのか?畑寺などの山地の最下段だったのか。
3.その時代、石手川も直ぐ近くを流れていたはずだが、石手川と草葉川との間はどのような姿であったか?
4.樽味遺跡の辺りは石手川の氾濫に悩まされなかったのか?
5.草葉堰を設けて草葉川の取水元を移したのは何故か。