打席におけるイチローの境地

佐藤弘弥氏のエッセイ「イチローの直観と禅」は、正確に的を射ていると思う。打席に立ったイチローは無我の境地にあり、球が遅く見えている筈だ。(http://www.st.rim.or.jp/%7Esuccess/ichiro_ye.html
かって川上哲治はボールが止まって見えたと言い、王貞治はボールの縫い目が見えたと言った。佐藤氏はこれにも触れ、実際にボールが止まって見えるような感覚は得られるものだろうかと、疑問形で結んでいる。イチローも表現は違うが、ボールが線で見えると言った。これらは本当にあることで、ボールが止まって見えたり、遅く見えたり、線で見えたりすることは素人でも経験することがある。そう言う時に共通するのはボールが凄く大きく見えることだ。これは極度に集中した状態であり、無我の境地と言えるだろう。
素人でもこの感覚を味わうことがあるのだから、川上や長嶋、王、現在のイチローは、常時とまでは行かなくても、打席でそのような境地にある確率は相当に高いと思う。相撲では往年の双葉山、近年では千代の富士が、柔道では三船十段がその境地に達していたと見る。アテネオリンピックで日本の柔道はその境地に近づきつつあるのを感じさせてくれた。外人記者に日本の柔道は美しいと言わしめた理由はここにあると推測する。名人・達人のレベルは凡人の理解を遥かに越える。