名投手藤田元司氏逝く

懐かしい人。心臓が悪く、いつもニトロをポケットに入れていたが、遂に逝ってしまった。謹んでご冥福を祈る。
藤田投手は流れるような美しいフォームで快速球を投げ込む、本格派オーバーハンドの投手で、大学時代敵ながら大好きな選手だった。相手チームは彼の速球に手が出ず、押されっ放しだったが、不思議なことに一試合で一イニングだけコントロールを乱す癖があり、それが唯一突け込むチャンスだった。当時の慶応は洗練されたスマートな良いチームで、常に優勝候補だった。しかしやや線が細くてもっさりした早稲田に負け、そのため藤田の力投は報われなかった。在学中の8シーズンのうち4回早稲田が優勝し、彼は悲運のエースと言われた。最後のシーズン、早慶勝戦で同点のまま進み、7回か8回だったと思うが、慶応は無死三塁の好機を迎えた。この絶対のピンチに早稲田の投手木村は動じることなく、絶妙のピッチングを見せた。第一球目は際どくボール。次はストライク。第三球目はまたボール。次ストライク。第五球目もまたボール。手に汗握る場面で最後の球、空振りの三振。これで流れが変わり、その後二人を討ち取って0点。そのまま延長に入り、11回目だったか、ランナー一人を置いてバッター森は、藤田の球をレフト側慶応応援団の真っ只中にホームランを叩き込み、早稲田の勝利。早稲田側のスタンドは一斉に立ち上がり、肩を組んで都の西北歓喜の大合唱。藤田はまたも悲運に泣くことになった。
巨人に入ってからもエースとして力投し、数々の栄誉を勝ち取った。物腰が静かで礼儀正しく球界の紳士と呼ばれたが、本人に言わせると瞬間湯沸しだと言う。高速を飛ばすのが大好きだったが、逝くのも早過ぎた。好漢安らかに眠って欲しい。