樽味遺跡の存在から判る古代石手川の位置

18日(土)の樽味四反地遺跡現地説明会に行って、樽味遺跡のイメージが漸く具体化し始めた。樽味遺跡がある場所が舌状台地であることは直ぐに理解できたが、そこの標高を聞いて驚いた。道後から南に行くにつれて低くなって行くので、樽味遺跡も道後より低いものと推測していて、何でそんな低いところに集落があったのか疑問に思っていた。説明会が終わってから発掘担当者に標高を尋ねたら、凡そ40mとの答え。何と道後と変わらない。南北で切った断面図を描くと、道後から次第に低くなり、樽味遺跡の北で急激に高くなっているのだ。縄文・弥生時代より前から石手川はその一番低いところを流れていたのだろう。足立重信が改修する前の石手川は、現在の石手川の南岸を南限とし、北岸は愛媛大学付属小学校の真ん中辺りまでの幅を有する大河だったと考えられる。このようにイメージがはっきりしたお陰で、色々なことが考えやすくなった。今回の説明会の大きな収穫。