那古屋城

みのもんたの「今日は何の日」で那古屋城を採り上げていた。見たのは最後の部分だけなので、どういうことを紹介していたのか詳しいことは判らないが、那古屋城は中世の城としては珍しく城下町もあったように語っていたみたいだ。戦国末期は戦乱が絶えないため、殆どの城は山上に設けられた。その中にあって湯築城は平地に留まり、拡張後は二重堀を備えた平山城となり、居住区をも内部に取り込んで、近世城郭の構成を他に先駆けて作り上げた。城の西側には城下町が存在した形跡も存在する。那古屋城も平地にあり、更に城下町もあったとすると、両者とも当時としては異例の存在と言えるだろう。
那古屋城がそのような特徴を持つ城なら現在の名古屋の原点と言うべきものである。だが今は県だか市だかの合同庁舎が建っている。惜しいことをしたものだ。そのまま残っていれば国史跡は間違いないし、日本百名城にも選定されただろう。行政の歴史や文化財に対する無知・無理解そして見識の無さが取り返しのつかない結果を招く典型例である。タリバンと同じと言われても仕方ないだろう。