文化

歴史の楽しみ方

湯築城が何故、現道後公園の地に築かれたかを探るには、当時の地勢を明らかにせねばならない。その意味で、北朝方の誰かが湯築城の場所を始めて軍事拠点とした時、湯築の丘は周囲を2本の川と条里制により作られた水路で囲まれていたと、当サイト及び「湯築…

吉野家が死守する文化「江戸の粋」

昔は喫茶店でもレストランでも目配り、気配りがしっかりしていたが、いつの頃からかそのようなものは完全に消えてしまい、昨今では誰も客を見ていない。そのような風潮の中にあって吉野家は違うようだ。 吉野家の安部社長は「築地で生まれた吉野家には、伝統…

道後温泉の最古の絵図発見

今日愛媛新聞は江戸時代中期に描かれた「道後温泉最古の絵図」発見を報じた。旧松山藩主の家系の久松家で見つかった由。今までに見つかった道後温泉絵図は二枚で、いずれも江戸時代後期のもので、今回発見されたのはそれより古く、貴重な資料となる。 愛媛新…

高松塚古墳古代の施工ミス?

高松塚古墳の解体作業が続いているが、天井石同士の継ぎ目を埋めるしっくいが塗られていない個所があり、天井にすき間ができていたことが分かったと、文化庁は23日発表した(ココ)。このすき間から石室内に雨水が浸入し、東壁に描かれた「青竜」の尾の部…

日本人の心を土足で踏みにじるならず者韓国人

とうとう韓国人が日本人の心、文化に土足で踏み込んだ。韓国人が神社の土地を買い取ったと称して、鳥居や社務所を潰した。イスラム相手にこんなことをしたら、直ぐに戦争になる無法行為だと言うことが判らないのか。民族の聖なる領域に立ち入るものではない…

古代の「沼」の音

@nifty辞書で「沼」を引いてみると、その音は「ぬ」と「ぬま」の二つあることが判明。引用している例文から見ると、古代には「ぬ」であったらしい。「沼」のついた熟語である「沼田」は「ぬた」の音が載っていた。 そうとするなら、尾張葉栗郡河沼郷の「河沼…

車窓から見た風景を絵巻物に描く権宮司さん

思いっきりテレビで、車窓から見た風景を連続絵巻に描いてしまう、西宮神社の権宮司さんを紹介していた。長いものでは稚内から枕崎まで、108mもある。西宮から京都までを実際に描く状況も映していた。信じられない才能。羨ましい限り。

那古屋城

みのもんたの「今日は何の日」で那古屋城を採り上げていた。見たのは最後の部分だけなので、どういうことを紹介していたのか詳しいことは判らないが、那古屋城は中世の城としては珍しく城下町もあったように語っていたみたいだ。戦国末期は戦乱が絶えないた…

『熊野古道』は文化遺産

国際日本文化研究センター川勝平太氏の講演をTVで聞いたが、その内容は非常に興味深かった。『熊野古道』は自然遺産として登録されると考えていたが、文化遺産として登録された。その理由は、熊野古道の風景は確かに自然景観であるが、その景観には心の投…

湯築城跡のガイドのあり方

指定管理者GENKIは湯築城跡を単に広場として見ているだけで、国指定史跡であることを軽視し、ガイドが絶対に必要とは考えていないように思われる。この事態を改革するため、現在のガイドさんたちの中に文化財フォーラム愛媛に期待したい気持ちを持つ人…

湯築城跡の指定管理者に史跡を活かす方策無し

昨日資料館で湯築城跡の指定管理者GENKIの事業計画を見たが、湯築城跡を単なる広場として利用するものばかり。国史跡であることは知っていて、史跡を生かすと書いてはいるが、それを具体化した事業計画は見当たらない。予想したことではあるが、何か対…

湯築城が「日本100名城」に選ばれる

財団法人日本城郭協会が選定を進めていた「日本100名城」に湯築城が入選。今回の「日本100名城」は、来年日本城郭協会が財団法人となって40周年を迎える記念事業として、文部科学省・文化庁の後援を得て企画されたもので、日本が世界に誇る文化遺産であり…

新田神社

石手川を遡り、石手川ダムを越えて更に行くと、藤野町に円福寺が、その先800m位河中町に新田神社がある。新田神社は上・下二つあり、上新田神社は新田義宗(義貞の子)を、下新田神社は脇屋義治(義助の子)を祀っている。神社の近くには二人の五輪塔が…

群馬交響楽団の軌跡

プロジェクトXで群馬公共楽団の発足から今に至るまでの、凄まじい歴史を知る。戦後全くの0からスタートし、その日の食費も事欠く境遇で音楽移動教室を始め、遂にベートーベン第九交響曲の演奏成功に至るまでの歩みは、リーダーと団員の執念の軌跡と言うほ…

伝統芸能ダイバン(続き)

ダイバンは今まで知らなかったが、高知県歴史民俗博物館HPの企画展のページに、シンポジウム「神楽の鬼を語ろう−だいばんの原像を探る−」が開催される旨案内が載っているのを見ると、かなり注目されている存在なのかも知れない。同案内には 土佐の神楽には…

伝統芸能ダイバン

「談話室ゆづき」に鬼の面を付けて舞う伝統芸能ダイバンに関する投稿(#3349〜3351)があり、西土佐と伊豫の山間部に残っていることが判って来た。もとは土佐の芸能であるが、松山から石手川を遡った日浦ではダイバと呼ばれ、河野氏滅亡にちなむ戦死者を弔う…

戦国末期における伊予河野氏の肖像画の像主

河野氏肖像画の像主に関する見解は色々と変遷し、確定していないと聞いてはいたが、『戦国末期における伊予河野氏の肖像画について 土居聡朋』でその全貌を知ることができた。更に、昔、稲葉氏(臼杵藩)がこの肖像画を調べ、模写までしたのだそうだが、その…

戦国末期における伊予河野氏の肖像画について

愛媛県歴史文化博物館研究紀要 第十号抜刷『戦国末期における伊予河野氏の肖像画について 土居聡朋(2005年3月31日発行)』拝受。 まだ少ししか読んでいないが、東京大学史料編纂所には松山市龍穏寺旧蔵河野氏肖像の模本が三幅所蔵されており、現在ではイン…

キトラ古墳で新たな発見

キトラ古墳の壁画修復で意外な発見。もっとも意外と思うのは素人だからかも知れない。担当者はこのようなことが有るかも知れないと、慎重に剥がしたと言う。キトラ古墳が理想的な状態に保たれ、壁画の修復の必要が無ければ今回の発見も無かった筈。良かった…

永納山城跡を国史跡に

国の文化審議会は20日、永納山城跡を国史跡に指定するよう答申との報道。井上妙子さんも喜んでいらっしゃるだろう。(『ゆづき』(特別号2)愛媛の古代・朝鮮式山城「永納山」参照)

松山城観光ガイドに関する市長宛メール

昨年末愛媛新聞に掲載された松山城の不届きなガイドに関する市長宛メールと回答が公開された。http://www.koucho.city.matsuyama.ehime.jp/koukai.php この投書は個人攻撃を避け、ガイドのあり方についての改善提案の形を採った抑制された投稿である。その態…

北条平野の古墳文化展

旧北条市の出土品などを集めた企画展が松山市考古館で開かれている。旧北条市には5〜6世紀に造られた古墳が約200箇所あり、松山市の900箇所と同様、県内で古墳密度が高い地域だそうだ。大昔から余程住み易い所だったのだろう。

通訳ガイド大幅増へ

国土交通省はプロの通訳ガイドを大幅に増やそうと、通訳案内業試験の内容を見直すことを決め、サービスの質が低下しないよう、ガイドを研修し挌付けする日本観光通訳協会などの団体の役割を明確にし、無資格者らの罰則も強化すると言う。 これは結構なことだ…

宮脇昇氏愛媛出版文化賞受賞

宮脇昇氏編集の「マツヤマの記憶」(松山大学編)が、第20回愛媛出版文化賞受賞と、今朝の愛媛新聞で報じられた。 宮脇氏は昨年まで松山大助教授で、ロシア人捕虜、ロシア人墓地について研究を重ね、途中、空襲で一部が焼けたロシア人捕虜達の写真について…

松山城のガイドに関する批判の投書

愛媛新聞門欄に、「観光ガイド選び人柄重視で」と題し、東京・佐藤真樹氏の批判且つ提言の投書が掲載された。同氏が遭遇した一人のガイドのあるまじき行為を、抑えた口調で批判するとともに、ガイド選びは人柄重視でと提言している。 観光立県を目指すには、…

文化財フォーラム愛媛のアクセス数

今日一万人を越えた。 湯築城のサイト開設:1998年6月10日 一万人突破:2000年6月19日(10006カウント) 2年と9日。 文化財フォーラム愛媛のサイトに改装:2004年2月8日 一万人突破:2004年12月16日(10009カウント) 10ヶ月と8日。 湯築城一万人目はmaruge…