神戸大震災の思い出

あの日からもう12年経つ。あの前々日・前日神戸に居た。もう一日泊まって居たらと思うと、ぞっとする。
新幹線乗車時刻まで時間があったので、久し振りに三宮・元町を散歩しようと歩き出したが、何故か頭が締め付けられるように重く、気持ちが悪くなり吐き気すら覚えた。これではとてもダメと、センター街を三分の一も行かずに引き返し、喫茶店に入って時間を潰し帰宅した。
あの日の朝、家内の大変、大変との叫びで起こされ、テレビを見たが、何がどうなったのか、直ぐには事態が呑み込めず、暫く呆然としていた。
神戸へ行ったのは、留守番替りに我が家に入れていた若夫婦が、マンションを購入して引っ越したので、家のキーを受け取るためだった。地震のあくる日だったか翌々日だったか、若夫婦にやっとのことで電話が繋がり、安否を尋ねたところ、越したばかりの新しいマンションにひびが入ったが、それより親戚の家が潰れてしまったと言う。その後、折り返し電話があり、親戚が家を建て直すまで貸して欲しいとの頼み。お役に立つならどうぞと返事。後に聞いたのだが、津田の亡兄の家も壁にひびが入り、修繕に随分掛かったらしい。
神戸の我が家は地盤が良かったためか、被害は皆無。電器・ガス・水道も停まらなかった。そのような場所は神戸全体で2箇所だけだったらしい。仕事が終わったらその家に戻る積もりだったが、母、妹と相次いで亡くなって事情がすっかり変わり、予定が狂ってしまった。止む無く松山に移り、色々な思い出の篭もった神戸に家も昨年末に処分した。
平成に入って直ぐ、バブルがはじけ、追い討ちをかけるように神戸の大震災。思い返すと碌なことが無く、まさに世紀末の様相だった。今、長引いた不況も漸く好転の兆しが見えるが、その一方で、次は地球規模の大災害、或いは現世界崩壊の予兆すら見える。神戸の大震災などちゃちなものだったと振り返る事態にならぬことを祈るのみ。