道後に残る古代の跡

道後の駅前通りにはビルが立ち並び、至る所にマンションが築かれて景観を台無しにしている。商店街や旅館街は新しい建物が無計画に建設され、昔の面影が無くなってしまった。所がその動きに取り残された区域には条里制の跡がくっきりと残り、古代の姿を垣間見せて呉れる。道後とは古いものと新しいものが雑然と混在するまちと言って良い。
条里制の跡とは、電車道から西側に一町間隔で平行に走る水路と道である。これ程見事に残っている例は少ないのではなかろうか。だが、地元の人でもこれが条里制の跡と知る人は少ない。道後の案内書や解説書を見ても、条里制の跡に触れたものは見たことが無い。
ここに条里制が敷かれた事実は何を意味するのか、非常に面白いテーマと思う。時代が下がり、中世に湯築城が築かれたが、両者の関わり合いも興味深い問題である。更に条里制が敷かれた区域の、時代ごとの姿はどうであったか、中世には城下町があったのではないか、そこの水路はどのように人々の生活に密着していたのか、等々、興味は際限無く広がる。これらを解明して街造り、観光に活かせないものかと、夢ばかり膨らんで行く。同志はいないものか。