消滅を免れた湯桁橋の標石

昨日子規博へ行き、下村為山展担当の学芸員W氏に、渥美國泰君との連絡を依頼しての帰り、湯築城跡北口前を北上する工事中の道路を通って見た。すると恐れていた通り「湯桁橋」の標石が全部無くなっていた。以前橋に隣接する家を取り壊し更地にする際に、業者が邪魔だとばかり、標石を一つ捨ててしまった。直ぐ市に電話し、市も業者に探させたが判らず終いだった。今進行している道路工事は市の発注のはず。その工事で標石が失われたとすると、今度は市の責任である。湯桁は源氏物語に語られ、今も遠くから湯桁橋を見に来る人もいる歴史的な存在である。橋そのものは建造物としては小さく何の価値もないが、だからと言って歴史を消してしまって良いはずは無い。このことを、以前、標石が一基失われた時、市に対する働き掛けをするなど色々と尽力して下さった道後郵便局長に話したところ、局長は既に市に問い合わせ、現物は市が確保していて、後日どのように復旧するか相談するとの回答を得ている由。行政も一本が行方不明になった時に、厳しく抗議されたのを覚えていたのだろう。良かった。局長のご努力には頭が下がる。説明板を設置するのも一法かと愚見を述べ、辞去。