盧溝橋事件、劉少奇の記者会見について

劉少奇が西側諸国の記者と会見し、盧溝橋事件は自分の仕業と発表した件は、どうやら確認出来ていないことらしい(ココ)。更に、この時期、中共党は国共停戦が破裂して首都の延安を胡宗南の国府軍に占領され、毛沢東以下の幹部は周辺の山間部に四散していて、記者会見どころではなかったと言う。そうだとすると、劉少奇の指揮で行なわれたとの話は眉唾と言うべきであろう。だが東京裁判において、盧溝橋事件や通州事件の証言をする予定だった証人が、間際になって盧溝橋事件の証言は不要と言われたのも、河辺、牟田口両氏が釈放されたのも事実であるから、その裏には知られていない何かがあったのは間違いない。その理由を明らかにせめばならないが、国立公文書館の未公開資料の中に手懸りはないだろうか。劉少奇直接指揮したのでなくても、状況証拠から見て中国共産党の策動があったことは確かであろう。真実の解明が待ち遠しい。