甲子園決勝戦の勝因・敗因

押し出しの1点を与えたボールの判定が話題となっているが、この一球の判定が広陵の敗因ではない。まだ3点差あるのだから、あと2点与えてもまだ勝っている。それだけの余裕があったので、広陵の投手が普段の調子であったならリードを守れたと思う。勝負には互いにチャンスもピンチもある。素晴らしい制球力を見せていた広陵の投手が、珍しくこの回だけコントロールを乱した。どんな好投手でも一試合の中で、1回だけ調子を乱すのは良くあることである。投手の調子が落ちたとき、相手がそれにつけ込めるか否かが勝負の分かれ目になる。押し出しで1点取られた後、広陵の投手がそれまでのように、速球や変化球をコーナー一杯に決めていれば、追加点を1〜2点取られても勝である。現実はこの回のコントロールが悪すぎた。ホームランされた球はキャッチャーの構えから大きく外れて高く真ん中に入り、打って下さいと言う球になってしまった。広陵の敗因はこの失投を招いた投手の調子の乱れであり、佐賀北の勝因は相手投手の乱れをしっかりと捉えたことである。
歴史にifは無いと良く言われるが、歴史を変えることは出来ないと言う意味では正しい。しかし、歴史の転換点となる重大な局面で、もしこうしていたら、或いはこうであったらと仮定を設定して見て、その結果が歴史の展開に大きく影響すると想定される場合は、それが歴史を動かした重要な要因である。適切な仮定を設けることは歴史研究の有効な手段であると、何かの本で読んだことがある。あの決勝戦の場面で、ホームランされた球が普段通り外角低め一杯に決まっていたら、凡打になった確率は非常に高い。少なくともあのホームランは無かった。そう考えると、あの回にピンチを招いたのも、逆転を許した痛恨の失投も、この回の制球の狂いが原因であり、それが勝敗を分けた要因であると言えるのではなかろうか。
だからと言って広陵の投手を責めては間違いだ。むしろ炎天下で何試合も戦い、相当に疲れていた筈なのに、常に素晴らしい制球を見せ続けたことに驚嘆する。大会期間を通じてただ一回調子を崩したところにつけこまれ、微妙な判定も重なって勝敗を分けたのは、誠にもって不運と言うほかはない。しかし、勝敗は時の運。全力を出し切っての結果であるので、堂々と胸を張って明日に突き進んで欲しい。