今治市朝倉下経田遺跡

今治市朝倉下の経田遺跡で、南北朝時代の道路遺構が確認された(ココ)。中世の道路跡が発見されたのは県下では初めての由。道は古代の条里制を踏襲して作られた可能性があり、道の両側に道と平行して立てられた掘っ立て柱建物が20棟確認され、井戸や石を積んで造られた墓も見つかったそうだ。その道は傍を流れる頓田川に真っ直ぐ向かっており、道と集落は舟の荷揚げに関係しているかも知れないと、発掘担当者は語っている。
非常に興味有る発見で、色々なことを想像させて呉れる。この場所は高市郷に近く、源平合戦の頃は高市氏の所領ではなかったか。荷揚げに関係するということは船着き場があったことになり、高市氏はそこから船出したのではないか。また荷上げ場があったのなら、頓田川はかっては相当な川幅を有していたことを示唆する。南北朝時代には誰がこの地域を領有していたか、時期によってかなり変遷があったと思われるが、最後には河野氏配下になった筈で、得能氏が拝領したのだろうか。
中世の道路遺構が確認されたのは初めてにしても、道後には中世から今に至るまで変わらぬ道筋は沢山ある。その道筋は今も使われているため、発掘されていないので、昔の道路が遺構として確認されていないだけである。条里制の跡もはっきり残っている。いつか発掘調査がなされたら、色々と発見があるはずだ。それまでは想像を楽しもう。