今日はテレビに釘付け

午後、テレビに釘付けになり、三つの番組を続けて観てしまった。最初は日米同盟のこと、次は近衛家の宝物、最後は大田光の爆問学問。
最初の件は、日本がどういう国家であろうとするのか、そしてどういう役割を果たそうとするのか、国家像を明確にすることに尽きる。
二番目で興味を惹いたのは、藤原道長の日記にひらがなで書かれた和歌があり、これは書き人が判っている日本最古のひらがなだそうだ。
三番目では、(イ)相関関係と因果関係を混同しているという話し、(ロ)神戸の震災の時、引きこもりと言われている人たちが随分活躍したこと、(ハ)無駄とは何か、などどれを取っても大きなテーマとなる話が語られた。
(イ)については例えば、ヨーグルトを沢山食べる村は長寿が多いと言うデータがあったとして、これは相関関係を示すもので、因果関係とは言えない、などである。これを因果関係と見る間違いは良くあることだ。
(ロ)については、暴走族と言われる人たちが相当貢献したことは聞いていたが、引きこもりの人たちも同様だったとすると、考えさせられる問題と思う。比較できるのは戦時中から戦後の或る時期までではないか。家も財産も失い、多くの人が同じ境遇であれば、引きこもりも暴走族も無くなってしまい、それぞれが自然に何らかの役割をはたすようになることを示しているように思う。
(ハ)について言えるのは、一見無駄と見えるものでも本当は無駄ではないものがあることを知らねばならないと言うことである。一例を挙げると、会社が或る時期、全部門が黒字だったとする。素晴らしいと思うのは誤り。全部門が黒字とは、全部門が成熟期に入ったことを意味する。それは次の時期に会社を支える芽が無いことを示している。成熟したら次は衰退しかない。どんなものでも研究・開発段階では持ち出しで、黒字になるはずはない。全部が黒字と言うことは、これから立ち上がる将来の期待の星が育っていないことを意味する。成果主義が叫ばれているが、将来を支える萌芽を潰してはならない。健全な赤字部門を持たぬ会社の明日は無い。一見無駄に見える中から明日を担うものが生まれて来る。それは企業でも学問でも社会でも同じではなかろうか。本当の無駄は寿命の尽きたものを無理に維持しようとすることで、スクラップ&ビルドを忘れてはならぬ。以上、テレビを見ての雑感。