西法寺の軒丸瓦の紋

西法寺の古い歴史を伝えるものが、薄墨桜のほかにもう一つ有る。それは西法寺本堂の軒丸瓦の紋で、16枚の花弁を持つ菊の花、即ち菊の御紋章である。
寺伝が伝える薄墨桜の由来は、広く知られている。即ち、天平の昔天武天皇道後温泉にお留りの時、皇后が病気になられ、病気平癒の勅命を受け、一寺を挙げて本尊薬師如来に修法祈祷を行ったところ、日ならずして皇后が回復された。喜ばれた天皇は勅使を遣わし、薄墨の綸旨と共に一本の桜を賜った。寺ではその桜を育て今日まで伝えており、綸旨の紙の名称「薄墨紙」に因んで「薄墨桜」と呼ばれている。今は三代目で、初代は800年、2代目は平成6年の松山の大渇水で枯れたが、それでも400年の寿命を誇った。軒丸瓦の紋は、薄墨桜を賜った後、特に許されて使用するようになったと言う。珍しい例であろう。下の写真を拡大すれば軒丸瓦の紋がはっきり判る。
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西法寺には薄墨桜(学名イヨウスズミ)のほかに、西法寺桜、新西法寺桜が有る。前者は薄墨桜と染井吉野、後者は薄墨桜と大島桜との自然交配種であり、薄墨桜とあわせて地球上でここにしかない桜が三種類もある。これも珍しい例であろう。薄墨桜は原種に近いそうで、その点でも貴重な種である。多くの桜の中で、花は薄墨桜が色も形も良く、気品が有り一番好きだ。咲く時期は一番遅く、言うなら桜の真打である。毎年春になるとこの花を見に行くのが習慣となってしまった。