日本の社会は元々循環システムで勿体無いの精神

ダニエル・カールが日本人の生活は世界一のエコライフだと言ったそうだ。その通りだろう。昔は顔を洗ったらその水を雑巾掛けに使い、最後に打ち水に使う。服でも手ぬぐいでも色々と使いまわし、最後は雑巾にする。このように何でもとことん使うことを、物の精を尽すと言う。そこには「勿体無い」と言う意識が存在する。
江戸時代に火事など急を知らせるための半鐘があった。半鐘台の傍には木が2本植えられていて、半鐘台を更新する時はその木を切って使う。切った後にはまた苗を2本植えて置く。これを見た西洋人が凄く感心したと言う。里山も同じ。これを共同で維持・管理することにより生態系を維持し、今現在恩恵を受けるだけでなく、末長く先の世代まで自然の恵みに与かる。
日本社会は総ての物事がサイクリング・システムを構成していた。そこから授かる恩恵は、「勿体無い」と感謝を籠めて物の精を尽くし切る。決して無駄に捨てることは無かった。
外国にはこの「勿体無い」に相当する言葉がないらしい。言葉が無ければその考え方も生活態度も無いのだろう。どこかの偉いさんが、「勿体無い」を世界共通の言葉にしようと言い出したそうだが、確かに世界に広めたいし、それが出来れば世の中は随分と変わるだろう。洞爺湖サミット福田首相が提唱してくれると良いのだが。