のど自慢で始めて歌われた「異国の丘」

国民年金の花柳な生活」の2008/08/29 (金) に『異国の丘』と題する記事がある。さわりの部分を引用する。

 昭和23年夏の日曜日、丁度食事時でBGMの様に聞き流していると、若い男の人の番になった。「自分は先日シベリアから帰って参りました。今、シベリアには何十万の同胞が一日千秋の思いで帰国出来る日を待っています」という言葉で始まり、抑留されている兵士達の愛唱歌だという聴きなれない歌を歌い始めた。楽譜がないので演奏はない。しかし、青年は毅然として歌い始めた。場内は水を打った様に静まり返っている。
 「今日も暮れ行く異国の丘に/ 友よ辛かろ切なかろ
  我慢だ待ってろ/ 嵐が過ぎりゃ/ 帰る日が来る朝が来る」
 鐘が鳴らないので青年は2番、3番を歌い続けた。場内から鐘を催促する様な拍手が起こり始めた時、合格を告げる鐘が乱打された。これが戦後最大のヒット曲「異国の丘」誕生の瞬間である。曲は直ちに採譜され、その夜のゴールデンタイムにはフルオーケストラに大合唱団を編成して放送された。

この青年が『異国の丘』を歌った場面は、この文と少し違うが今も覚えている。違うのは、最初カネ二つだったが、全員が歌い終わった後、審査員の中からあれが不合格なら合格するものは無いと言う意見が出たので、再審査するからともう一度歌わせ、今度はカン、カン、カン、カン・・・と合格のカネが鳴り響いた。ひょっとしたら異例の再審査をしたのは別の日のことだったかも知れないが、歌は『異国の丘』だったと記憶する。いずれにしても『異国の丘』は衝撃的な登場であり、今も歌詞が頭から消えない。