笹ヶ峠の広場が一丁原か

四国カルストへ行こう 大野ヶ原」と言うサイトによると、笹ヶ峠と記された場所に広場があると書かれている。国土地理院の地形図にもgoo地図の航空写真でも、確かに小さな広場がある。この広さなら、ここが一丁原であってもおかしくない。また、笹ヶ峠合戦を一丁原合戦と呼んでも不思議はない。
長宗我部側と大野側の会合の場所がここであるなら、元親が陣を張った場所が「笹ヶ峠甫見江坂」と言う記述と整合しない。「笹ヶ峠甫見江坂」でなく単に「甫見江坂」とするのが正しく、その位置がもっと東であるなら、すっきりと理解できる。従って両者が陣を張った「甫見江坂」と「樋ヶ峠」の位置を特定することがキーとなる。