F社とIBMとの紛争

F社とIBMとの間に争いが起きたのは何年だったか忘れたが、その内容を一口に言えば、世界中で65%のシェアを握っているIBMのインターフェースを事実上の標準と認め、それに準拠するから、IBMはインターフェースの仕様を公開せよと、F社が要求したのであった。この件はAAAの調停に持ち込まれ、最終的にAAAはIBMに対し仕様をF社に公開し、F社には相当額の対価を支払えとの裁定を下した。加えてAAAは裁定に関して両社は一切口外しないことを命じた。両社は裁定に従って裁定内容を公表しなかったので、詳しいことは判らない。
しかし、新聞等で断片的に報じられた内容を綜合することにより、F社の主張がほぼ全面的に認められた裁定であり、IBMに支払う対価は、言うなら頑なに公開を拒否して来たIBMを宥めるための慰留金であろうと感じた。後年F社の某氏に会った時本件を質した所、拙推測がずばりだったことを確認した。言い換えるなら正論が公式に認められたのであった。
その当時、互換性と猿真似を区別出来ない人が多く、本件に関するNHKの解説でも、互換性を持たすことを猿真似と同一視して、ピントの外れた話を展開していた。もっとも当時F社と並んでIBM互換路線を採っていたH社は、F社がインターフェース互換を目指していたのと違い、全く同じものを作ろうとしていたので、互換性と猿真似を一般の人が区別出来なくても仕方なかたかも知れない。しかし全国放送で解説をする人が互換の意味を知らなかったのには呆れた。その人物はF社がIBMに正面切って挑んだのを、馬鹿な行為と盛んに批判していた。恐らくインターフェースの標準化の意義が判らず、それが何故必要か全く理解できなかったのだろう。
今はパソコンもアップル社以外、IBM互換機が世界中で作られている。互換機ではあるが、メーカーによって中身は皆違う。インターフェースが標準化されていて、互換性が確保されているのである。件の解説者はこの現実を何と評するだろうか。皆猿真似しているとでも言うのだろうか。日本ではN社が遅くまでユーザーの囲い込みを図ろうとして互換路線に最後まで抵抗したため、他社との互換性が無く、シェアを大きく落としてしまった。
互換性が無いとユーザーは迷惑する。ユーザーの立場に立てば、互換性を持たすことは絶対に必要な条件である。その有るべき姿に向かって敢然と巨人IBMに挑んだF社の勇気は大いに称えられて良いと思う。