言語力の強化には論理性も重要

今言語力の強化が叫ばれているらしい。自分が言いたいこと、言うべきことを的確に表現する。コミュニケーションはここから始まる。サッカー協会もプレイの質を高めるために、言語力の強化に乗り出しているそうだ。
言語力を高めるには多角的な訓練が必要であるが、その一つとして論理性を忘れてはならない。電子機器を動かすプログラムは論理の塊りで、論理の狂いは許されない。そのプログラムとはプログラム言語で記述した文章である。プログラムではきちっと論理を通しているにも拘らず、機器のマニュアルは極めて判り難い。マニュアルが判り難いのは電子機器だけでなく自動車なども同様である。全然知らない人がマニュアルを読んで使いこなすのは、殆んど不可能であろう。それで良いのか疑問である。
アメリカの或る会社で新しい機械を開発し、それのマニュアルを新開発の機械を全然知らない社員に渡し、マニュアルを見て機械を操作させて、マニュアルの足りないところや、判り難いところを徹底的に調べ上げ、それを基にマニュアルを改善した。これを何回も繰り返し、一年を掛けてマニュアルを整備した上で発売に踏み切った。
似たようなことは自分もやったことがある。特許請求の範囲を書き上げると、出願しようとしている技術のことを知らない人に見せて、どのように解釈するか確かめる。見て貰うのは技術内容ではない。論理を追って貰うのである。原案の論理を追ってポンチ絵を描いて貰う。描かれたポンチ絵が自分が考えていた通りに構成されず、とんでもない絵になることがある。それで論理構成がきちんと出来ていないことに気がつく。
何通りにも解釈できる文章の例として、「黒い目の綺麗な女の子」と言う文章がある。特許でこのような幾通りにも解釈される文章は論外だが、日常でも同じであろう。論理の通った文章は、解釈は一通りしかないので判り易い。コミュニケーションを良くするためには、判りやすく、そして誰もが同じに受け取れる言葉が肝要で、そのためにも論理性が大切である。