高知県史編纂に関する疑問

昨日採り上げた高知新聞の「元親は四国統一できず!?」の中で気になる一節がある。

1575(天正3)年、土佐を統一した長宗我部元親は四国平定に乗り出した。途中、織田信長の干渉を受けながらも阿波、讃岐を制圧し、1585(天正13)年春、伊予中部の河野通直(こうの・みちなお)を降伏させ四国を統一した――というのが、「高知県史」などで長く語られてきた通説だ。
これに反論する論文を、三重大学藤田達生教授(日本史)が1991年に発表。同教授は史料解釈の間違いなどを指摘した上で、▽伊予国内には、北部の来島氏など降伏していない勢力が存在する▽河野氏の降伏は後世に書かれた軍記物「土佐物語」の記述に依拠したもので、これを示す史料はない――として統一説を否定した。

これが事実とすると、高知県史は歴史研究の原則を無視して作られた、信用出来ない刊行物となる。土佐物語など軍記物や二次史料が伝えることを、一次史料に基づいて検証することなしに採択したとすると、高知県史は歴史書でなく、軍記物などが伝える伝承を纏めた書となってしまう。
高知県の名誉のためにも、県史の見直しを至急行なうべきであろう。実は宿毛市史にも類似の問題点が存在する。宿毛市史が高知県史を参照しているなら起きて当然のことである。これを見ても高知県史の罪は重い。