牽牛子塚古墳に隣接する越塚御門古墳発見

伊豫と縁の深い斉明天皇(594〜661年)の墓であることが確実視されている奈良県明日香村の牽牛子塚古墳(7世紀後半)の隣接地から、孫の大田皇女(おおたのひめみこ)の墓とみられる古墳が見つかり、村教委が9日発表した(ココ)。
日本書紀には、斉明天皇と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)が667年に合葬され、斉明陵の前に大田皇女が葬られたと記されている。牽牛子塚古墳には石室が二つあり、今年9月には、7世紀の天皇陵に特徴的な八角形墳と判明、斉明陵であることが確実になっていたが、今回の発見で更に補強されたと言う。昨9日は各紙ともこのニュースを報じていた。
宮内庁斉明天皇陵と大田皇女の墓について、それぞれ南西約2・5キロにある別の2つの古墳(奈良県高取町)に指定しており、新たに墓誌などが出ない限り変更しないと述べており、研究者からは見直しを求める声も上がりそうだと言う。だがこの件も考えようで、牽牛子塚古墳が斉明天皇の陵墓と指定を変更されると、牽牛子塚古墳の研究が出来なくなる。そう考えると痛し痒しでどちらが良いか、大いに迷う。